1139話
K保田さんからの質問である。
この2年くらい 立ったときの足裏の重心位置についてや 身体を意識的に動かすことなどを、普段の動作や 運動するときに 考え続けていました。
バレエなどで得た実感としては、重心はどちらかといういと内側を通り センターに繋がる意識で動いた方が 骨盤を整えるのに適していると感じていますが、教えて頂いた足裏の 外側ラインに重心をおくと慣れないこともありやや負担です。
また 六甲の教室では 実際に身体を動かす運動のプログラム(紹介文にあるような)の再開予定は お有りでしょうか?
まこと丁寧にして、体験二回のみという受講回数からして必然的な質問である。ので、他の初心者の方向けの説明にもなるかと引用して解答しようとした。
文言を見ながらつらつらと解答を考えていたら、とうていブログの一回や二回では説明しきれない分量になることが理解できた。
そして、丁寧に解説を始めれば始めるほど、かえってややこしくなる場合が多くなることも予想される。
筆者が伝えたい、習得していただきたい、たどり着いて頂きたい、と感じている「自然な心身」の状態というのは、過去受講されたみなさんの感想を元に、また筆者自身の体験を加味しても、習得前の予測とはまったく違う角度から「それ」は現れ、想像したことも無い景色が広がる。
『重心はどちらかといういと内側を通り センターに繋がる意識で動いた方が 骨盤を整えるのに適していると感じていますが』
という意見自体はおかしくもなんともないが、その体感および身体意識の延長線上には
「平坦な道から上り坂にかかったとたんに、平地を歩くよりも楽に足が動き始める」
とか
「電車満席で、ずっと立ちっぱなしだったので、駅について歩き出したら、足が軽くなってびっくりした」
とか
「骨格というのは、硬くしっかりしたものだと思っていたが、口の中のミルキーのようにむにゅ〜っとしなう」
とか
「ほんの数十センチラケットが動いただけで、力も何も入れていないのに、爆発的なボールが返って行くんですけど(テニス)」
とか
「25歳も若い、体育会ばりばりのテニス部現役部員と、顧問の経験しかない自分が、たった二ヶ月ほどの週一レベルの武術の動き方の練習で、フォアだけなら互角になっていた」
とか
「雑踏だと思っていた駅の景色が、渓流のような美しい流れに見える」
というような境地?につながるものは予想されていないだろうし、その可能性もほとんど無いだろうと思われる。
しかしながら、上記のコメントは筆者が実際に受講生の少なくない数の方々からお聞きした生の感想である。また筆者自身が感じ、身についたものである。
K保田さんは「運動不足・・・」ということを書かれているし、また常套句として世間一般まったく違和感なく使われている。
ほんとうに「運動不足」というものがあるのだろうか。不足しているのだろうか。「運動不足」と「筋力が低下して」というフレーズは嫌っちゅうほど耳にする。
しかし、愛犬すずなは、朝夕の短い散歩の他、家にいる時にはほとんど寝そべっている。すずなの運動していない時間は、圧倒的に多い。時間だけを見たら、病気で寝たきりに近い人の方がよほど動いているかもしれない。
にもかかわらずその立ち姿は人間が及ぶことのできない絶妙のバランスと精妙さで見事に立ち、歩いても走ってもその美しさは変わらず、時に突然駆け出し、飛び上がり、飛びついたとしてもぎっくり腰にもならなければ、足がつったり肉離れを起こすこともない。
寝てばっかりでこれかよ!
と、愛犬を眺めていたままの目で人間を見直すならば、どうも臭い。
「運動不足」というと、その「適度な強度・負荷」と「運動量 運動に費やす時間」の不足という意味で使っておられる方が圧倒的多数であろう。
しかし、量の問題という感じはしない。まずは質の問題、という気がする。
「運動不足」というのは「運動の質の不足」の方が問題として大きいように思っている。
だから、まず質のいい運動が自動的にバージョンアップし、続けていけるような「基礎」を身体になじませる必用があろうかと思っている。