1166話 初めてです


そのことに慣れて、どんどん無意識にできるようになるというのが上達の道筋だ。


と、いう考えが変わりつつある。



いつもと同じことをやっているはずなのに、まるで初めてのように感じ取れ、そこからどんどん発見がある、収穫がある、ということの方が上達の道筋であるように感じている。


そこから考えると「そのことに慣れて、どんどん無意識に…」の「無意識」というのは、じつは「無自覚」の使い間違いではないかなと思う。


今やっていることを、まるで初めてのことのようにやる、ということはなかなか楽しいことである。


先般の「速読」でも、自意識はいつもの通り道を歩こうとする。しかし、筆者はすでに「自意識の安心感」は自分の中だけにしか価値を持たないことを薄々感づいているので、それを捨てた。捨てたら「下から読んで理解する私」に出会った。結果は満足であるし、その本もより理解して呼んでもらった方が本望であろう。


整体教室で、「歩み」を練習する時、歩くということを知らないところから始めましょうと呼びかけた。


仰向けでばたばた足を動かし、どういう動かし方ができるのかを一つ一つ無意識にデータを送り込んでいく。


自然に質の違う動きが出てくるのを待って、次の動作へと進んでいく。ハイハイまでもなかなか行かない。


筆者が一番遅い。置き去りにされている。


受講されるみなさんは、自然な動きが出るのを待つ、という感覚がまだ分からないようで、頭で作った赤ちゃんごっごでさっさと次の段階へ進んでいく。


と、いち早く立ち上がったN田さんが途方にくれている。


「ハイハイしないで立ち上がったら、歩き方が分からない」


と泣いているのである。


生命に別状のないことは明白なので、冷たい視線をちらりと走らせるだけの非情な筆者であった。


じっくりと時間をかけて立ち上がると、その後は実にはやいペースで歩きが進化していく。それとともに、足の裏の「まがたまライン」が、いまだかつてないほどくっきりと感じられる。


初めて出会う歩きの手ごたえを感じて、「歩きは確立した!」の手ごたえに止めたが、さっさと立ち上がった方々の進化が遅い。


自然に次の動きにステップアップする、ということが分かったらしく、分かったら「それ」が来るまでは次へはいけないので、つたない歩きのままぐずぐずしている。


結局、ほぼ全員が「素敵な歩き方」になるまで、10分以上待った。