1170話 能力限定


いろいろと練習することが楽しい今日このごろである。


空手の「三戦の型」を覚えようと思い立った。


通勤の電車の中でも続きをやる。もちろん、実際には動かないが、実際に動かないという一点を除けば、やっているのと同じ状態。


氣や呼吸がその型どおりに動く。


10回ほど終わったので、そのまま「氣のみ三戦の動きをキープしたまま」、インナーテニスを読んだ。



びっくりした。


三戦の動きに合わせて、まるでスコップですくうように文字と意味が頭に入ってくる。


なんなのだ、この手ごたえ。



筆者は、忽然と悟ったのであった。


筆者の「慣れ親しんだ感覚 自意識」は、読み書きそろばん、風呂飯、くそ、その他、ありとあらゆる日常の営みごとに、発揮する力の「上限」を設定しているようなのだ。


過去と比べればずいぶんと変化し、上達しつつある「速読」。脳の情報処理回路が変わるのだ、とか視界や色彩感覚が激変するぞなどどアナウンスしてきた。


それらは嘘ではない。誠の話である。


だから、筆者実施は、その分野でものごっつう「パワーアップ」していたと思っていた。


誤解だった。それらに使うエンジンは50CCのままだったようだ。空手の型をやるときの「氣の量」の数分の1しかなかった。


だから、空手の型用の氣の量で本を読んだら、いきなり速読が「スコップでがさっとすくうように」読むように変わってしまったのである。


この「無意識の枠組み」を変更しないと、いくら「頑張っても」先は知れている。