1195話 身体ふたつ


先日の『速読講習』の時。


空手のU先生の実技解説書を持っていった。三戦をセカンドセルフでやると統一度が促進される。その身体性を保ったまま速読すると、スコップですくうように情報が飛び込んでくるということを体験してもらうためだった。


その体験そのものは成功し、変化は全員が味わった。


その後で、U先生の演武姿の写真のページを開けて、全員に見てもらった。その際はみんな「素の自分」に戻っていたらしく、ふんふんこの方が達人なのね、という程度の反応。


その後「三戦(といっても練習したのはごく一部だけだけど)演武中の身体性」を再現しながら同じ写真を見てもらった。


写真が写真に見えず、生身のU先生がそこにおられるように感じて、みんなU先生のレベルの恐ろしさを感じて、ぞっとしながら写真を回覧した。


八木さんなど、連続で門弟を捌いている写真を観て、自分がやられている様をありありと感じたという。想像したのではなく、結果が肉体的実感を持って感じられたのである。


こちらの心身が呆けていると、目の前に「それ」があっても分からないんだということを実感した。


今でも自分のレベルはたかが知れているけれど、過去は、ものすごくすばらしいものが目の前にありながら、その値打ちが分からずに、ぼろぼろとこぼしていたんだろうなということは実感できる。


ところで、最近地下鉄にセイコーの時計のとても大きな広告ポスターで、市川海老蔵ダルビッシュの二人のモノクロ写真が、時計をはさんで一枚ずつというものが貼ってある。


このお二人の身体性はどんなものか。いつもの呆けた自分では分からないので、お二人に抜き身の日本刀を持ってもらい、こちらも白刃をひっさげてその前に立つ、というシチュエーションを作ってみた。


片方の方は、そこから口げんか、ないしは口頭による威嚇が始まる程度のものを感じ、もう一方の方には、表情も変えずに一瞬のちにはこちらが切られていた、と感じた。


興味のある方はやってみてください。素のままの自分で観るのとは、まったく違う写真が現れます。