1199話 密度ではなく…
稽古のムードが急速に変わってきた。
気合いも(って、もともとないけど)号令も、かけ声も、細かい誘導もなく、静けさの中でそれぞれが自分で課題を決めて、黙々と己の実感と向き合うこと十数分。
テーマを変え、課題を変え、ペアを変えて同じく黙々と十数分。
二人組んでの稽古。手首をつかまれたところから、相手を崩す。と言っても「くずし技」の稽古ではない。ハニー感覚で全身の皮膚とそれを取り巻く環境をひたすら感じ続ける稽古である。
全身が「それ」になり、ほんの小さな動きで相手が大きく崩れていっても、「その感覚」をとぎらせずにそのまま相手の起きあがりを待って続きの流れが始まる。
成功にぎらぎらしたり、己の成功の理由をとうとうとペアの方に説くなどと(ほとんどの場合、そのコツは無意味な独りよがりであることが多いようだ)いう場面が皆無になった。たまたまの成功を持ち上げる人は、すぐに自意識で再現しようとしてうまくいかず、不機嫌になる。上達はしない。
技が途中で閊えると、強引に崩しに持ちこむことなく、精密に来た道の踏み跡をたどって帰り、こぼれたものを身体が拾い上げるのを待ち、再度くり返す。
目先の結果を追わない。しかし「それ」ができれば結果は出る。出るからといって「できるようになった」わけではない。ただ「出た」だけである。
こういう稽古のできる方々がこういう稽古をしなかったのは、じゃまをしていた私が悪いのである、ということがよ〜く分かった。
H住吉高校や未来演劇塾でこういう質の稽古の時間が悠々と流れるようになったら、と考えると「うまくいっている理想の形の一つ」という気がしてきた。そうとう今までよりはレベルの高いことが現れるだろう。
必用なことはただ一つ。
「蜜度」(密度ではない)を上げることに尽きる。(今日のところはね)