1238話 皮膚

傳田光洋氏の「第三の脳」(朝日出版社)を読む。


これは「脳」の話ではなくって、「皮膚」の話である。皮膚が考えるという話である。


これから数ヶ月、我が皮膚に触れまくり感じまくる(変な意味でなく)日々が始まりそうである。




稽古や演技で邪魔になるのは「身体に命令する意識」である。


それは、実際にやっていることの手ごたえでなく、「やろうとしている意識が納得する手ごたえ」を最優先で探そうとする。


不本意な状態では、今ここで起こっていることは認識せず、「やれていないこと」を意識するので、なかなか抜け出すのが難しくなる。


萎えてごろごろしているとき、意識は「やる気がない」「気力が湧かない」と言う。


「ない」んだから変えようがない。


実際にやっていることを客観的に見るなら、その姿勢は「休息」「疲労回復」「充電」の姿勢である。


だから「休憩中」と言い、「疲労回復してきた」と続け「充電中」と言葉を発するなら、いままでのやる気のなさが嘘のように消えたりする。


もちろん、それを感じていることが必用だ。


しかし、実際には起こっていない状態を意識することで、実際にぐったりとし、悶々とする状態をつくる能力があるとも言える。


分身稽古も蜂蜜稽古も、実際にはないものをあるように扱って効果が出る。


蜂蜜稽古は「架空の皮膚感覚」そのものである。


そういったことが、結論のないままにうごめいている。またまたますますおもしろくなりそうだ。