1287話 意図と実際

首や肩がこるからストレッチをして柔軟にする。


実にわかりやすい理屈である。


前提になっているのは「こりをとる、こりをほぐす」という発想である。ここには手がついていない。




「首のコリをストレッチする」と言ってから首を回すと、動きはことごとく「こり」をキャッチし、なかなかに伸びてこない手ごたえをともなう。つまり、コリに当たる動き・角度をご丁寧に選び続ける。どう動かしてもコリだらけの私ということになる。


「首の弾力調べ」と言ってから首を回すと、ゆっくりと丁寧で念入りで、かつごりごりのコリとはぶつからない。肩や背骨が連動して助け合ってスムーズな動きをしている。コリのない弾力に満ちた私と出あう。


どちらも私である。


首にこりがある。だから、首のコリを取ろうと発想するか、弾力を感じる動きを身につけようあるいは甦らせようと意図するかの違いである。


「コリを取る」に違和感を感じない人が多いから、多くの人がせっせとストレッチに励む。



幸せになりたいと思っている人がいるとする。(基本的に誰でもそうか)


幸せになるには一つずつ不幸を外さなくてはならない。


そこで精密に不幸を一つずつ探していく。


「あれも不幸」「これも不幸」


すると、おそらく不平・不満・不足・文句・うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ・ひがみが紅白歌合戦のようにオールスターでお出ましになるであろう。