1315話

カントリーダンスのA甲さんが、操法を受けに来られたので、内面がクインクイン回り出す最新の手当をした。


数分手を当てると、その後数分踊る。


内面が動きだして、気持ちよくってたまらない、勝手に動く、というわけである。


やりにくい動きを、がんばってがんばってできるようにするという踊りへのアプローチもあるのだろうけれど、身体の中から動きたい喜びのようなものが湧いてきて、形になっていく、という方が好きである。


今日は4人集まった「ネクスト」で、次なる方向性と仕掛けとたくらみと魂胆と計画と根拠になる技術展開を熱く語る。


ふふふ。おそろしいことになるぜ。


夕方までの空き時間を利用して「アイーン」のMお母さんのお見舞いに行く。


おお、ちゃんとアイーンのレベルは保たれている。


前回、ほとんど「だらり」としていた右手の指が心なしか力があるような。


そこで、やや「握りかけ」の様な手に指を一本突っ込んで軽く「アイーン」方向へ誘導すると、あれれ、指を握られたような感触が、と思うやいなや、するすると手が顔まで動く。


何回も繰り返すと、着実に動きのロスが減り、「首まで稲妻方動き」の腕がかなり寄り道の減った状態で、外回りに進路を変えつつ顔まで届くようになる。


そこで、こちらの誘導の影響がない状態ではどうなんだ、ということでリップクリームのスティックを持ってやってもらうと、やはり顔まで行く。


コツは、小指で握ること。


何も持たずに手を顔まで上げてくるのと、ライターやボールペン程度のものを小指側で握ろうとして手を動かすのとの違いを読者のみなさんも一度お確かめいただきたい。


ものを持った方がてきめんに軽く動く。


ちょっと考えれば、納得がいく。


人の腕の動きで、もっとも生存するための運動として代表的なもの。それは食い物を持って口に運ぶという運動である。化粧するのも、たばこを吸うのも同じような動きであるが、元祖・本家・宗家・本道は「手にとって食う」の動きであろう。


単に腕を上に上げる動作と、手にとって上に上げる動作とでは、後者の方が運動の回路が積極的かつ明瞭にはたらくことは理にかなっているのである。


ある特定の部分に刺激に集中するというのは、筋トレやストレッチの世界でよく耳にする表現である。


しかし、よ〜く考えると、人の営みで、動作の意図や目的のない行為に力が入るだろうか。運動の回路が積極的に働こうとするだろうか。


健康体操、リハビリ、筋トレなどが、およそ日常生活では決して使わない体勢や運動になっている面が大きい。また「そこに効かせたい」という思いから、部分に集中的にアプローチをかけられたりする。けれど、日常の動きを快適にするためであれば、部分刺激に特化するというのは、少しずれてはいないだろうか。


ちょっとピントははずれるかもしれないが、誰かに「好き」と思われる時、「あなたの○○が好き」というのと「あなたが好き、すべてが好き、何もかもが好き!」というのとではどちらがうれしいか、っていうような問題である?かな。


だから、芸能人の結婚会見なんかで、あほな記者かレポーターが「新婦のどこにひかれましたか?」なんて質問をするのは、人を好きになったことのないかわいそうな人だと満場に開陳していることになるのである。


貧弱なやせすぎが「スリムですてき」になり、太りすぎが「グラマー」に見え、いつもへらへら笑ってるが「愛くるしい」になるのが、恋愛である。


何もかもが好意的に解釈でき、魅力に見えてしまうという、「美しき誤解」が恋愛を成立させており、その誤解のおかげで、人類は存続していけているのだ、とはブログ道の師匠と仰ぐ(勝手にね)内田樹老師が看破されているとおりである。



話はずれたけれど、動作目的と機能回復や生存直結基本動作を回復訓練に使う、という観点はいかがなものかということおよび、現状を、Y沢@新婚理学療法士さんやS川@最近ごぶさたお元気ですかさんと、意見交換してみたいものである。