1338話 世界の中心で「アイ」を叫ぶ

今朝は、朝昼は自然体チューニング。


ここ最近見方の変わった「立つ」


視覚中心で立ち方を捉えると、どうしても前に比重がかかる。身体地球剣玉で気づいたように、まっすぐに立とうとすると、前後左右、自分を中心の円周に均等に意識が行き渡って、その中心にいる感覚ではじめて「どこがまっすぐか」ということが明らかになる。


これを前に向かって歩く際にどうなるかと言うと、視覚では前しか観ていないので時間的に言えば「未来・将来」への「一直線」のみが浮上してくる感じだ。


しかし、360度を感覚に入れると、前後に延びるラインは「過去から未来へ続く線の途中にいる今の自分」や「身の回りの人やものごととのかかわり」の中にいる自分、という立ち位置が明らかになることにつながってくる氣がしている。


そして、前を見ることに無意識に限定していた感覚を360度に広げると、それはそのまま周囲や対象を無条件で受け入れるという身体の感覚がともなう。


その体だと、いくつかのからだのこわばりがいきなり消失する。つまりその「こり・こわばり」というのは、前に居着いた感覚がバランス補正のためにやむなく作っていたものだったらしいのである。


さらに、その柔か〜い、感覚の届く範囲がまんべんなく広い私になると、武術的な動きでも、今までよりも実に簡単に相手が崩せ、技がかかる。整体では、押圧時の氣が通の通りが一気に加速する、なんてことと出会う。


体は柔らかくなる、技は今までよりできが良くなる。


突き飛ばしても崩れにくいし復元が早い。


ということは、今までの「前に圧倒的に意識が濃い私」と「全方位にまんべんなく意識が広がって開放されている私」のどっちが本来の私か、と見れば結果からみると後者を採用せざるをえない。


「私がこう思う」「私がこうしたい」と言おうと思ったら、全方位感覚受容開放体の「私」でないといっちゃいけないのだ。真ん中にいないといけないのだ。中心にいないといけないのだ。


「世界の中心で I(私)を叫ぶ」筆者なのであった。