1347話 るんるん
先週のヨガの時間に「トカゲ体操」をやった。
70代後半、膝が痛いO谷さんは、先週のそれでずいぶんと楽になった、という実感があった。
道場歴も、もう何年にもなるO谷さんである。
しかし、一週間「あの体操がしたい!」と心待ちにしていたということは(少なくともこちらが知る範囲では)一回もなかった。
るんるんで帰られた。
S田市から、1時間40分かけてバイクで通うことができるようになったM野さん。
「言葉を届ける」「本気で聞く」を体験される。
「あなたは柔らかいわね、と観ればみんな柔らか」を体験される。
るんるんで帰られた。
N村さん。整体教室初体験。
「言葉を届ける」「本気で聞く」を体験される。
最初の一時間で3回泣いた。(別にいじめた訳じゃないよ。)手応えと感動であろう。
Y田君、「トカゲ力(とかげりょく)養成体操」を体験。
ものの10回ほど。
三戦が激変し、テニススイングが異常なほど早くなる。バックなど「瞬速」(ご本人過去対比だけどね)
めでたく「整体テニスクラス開講」でおそらくるんるんであろう。しかし、本気でやればやるほと、楽しい苦悩(って日本語になってないか)が始まるであろう。
S崎さん、Y田君と組んで愉氣の実習。
Y田君の「のびのびした首」を感じたら、あれ、あっ、あわわわわわ、すぽっと、昨年の合宿でごぼっと取れたむち打ち症状の「残りの不快感」がスポッと抜けた。
るんるんで帰られた。
K藤さん。
「あなたは柔らかいわね、と観ればみんな柔らか」視線を浴びて前屈したら、数ヶ月前まで床から15センチは離れていたてが、手のひらが全面床について、「ほへ〜」
るんるんで帰られた。(と思う。筆者の方が先に帰ったので知らないけど)
K山くんから、また新たな大会に出場した結果報告の電話が入る。
「『三戦のさわりだけ使ったフォアハンド』を武器に、なんと準優勝してしまいました」
とのこと。たぶん、試合場からるんるんで帰ったことであろう。
A甲さんが操法に来られる。10分操法して、動きの確認に15分踊って帰る。
「ここが競技会場だったらいいのに〜!」
と言っているので、るんるんとはいいづらいかもしれないが、類別としては「るんるん類」に入れても良かろう。
いろいろ。
というような教室報告を読んで、「お前は甘い。いいとこばっかり見て、きっと不満を抱えた人だっているのよ!それを見逃しているに違いないわ。そうよ、そうに決まっているわ」
というような感想をお持ちの方もおられるであろう。
ご指摘の通りである。きっと上記に挙げた方々にも、不満、不足は当然あるであろう。挙げていない方に不満の方もおられるだろう。
るんるんならぬ「ぷんぷん」と帰路についた方もあるやもしれない。
しかしながら、今道場でのメインは、他人の好転の兆しや十全な働きに集中することで、相手の好転が促進されるのはもちろんだが、そういう見方をするこちら側もまた、その集中した点に好転を引き起こせる、という現象の追体験である。
前半の文章は、そういう景色があった、ということであって「それが全て」だとは思っていない。
繰り返すが、今道場でのメインは『他人の好転の兆しや十全な働きに集中することで、相手の好転が促進されるのはもちろんだが、そういう見方をするこちら側もまた、その集中した点に好転を引き起こせる、という現象』である。
それを深化させつつ、来られている方に身につけていただいて、日常を豊かにしていく流れに乗っていただこうという魂胆である。
習得の動機付けを強くするためには、提唱者のこちらが、より高次元に「それ」を体現し、「それによる充実感・幸福感」が全身からにじみ出て、受講生をして「なんかよ〜わからんけど、あれっていいみたいだわ」とより強く感じる状況を生み出すことである。
ゆえに、筆者は「筆者自身の好転の兆しや、十全な働きをさらに促進させるために」筆者以外の皆様方の「好転の兆しや、十全な働き」に最大限集中するのである。
筆者のみが、さっさと幸せになろうとしているのであるから、必然なのである。
「どうやればうまくいくだろう」と考えることは、一見「改善に向けた正しい態度」のように見えるが、われわれ凡人がそう見ることは「つまり今はうまくいっていないのよ」という烙印を押していることになる。
すると、うまくいっていない景色一色になってしまう。
文句のつけようがないいい状態なんかじゃないことは、もう前提として当たり前で触れる必要がないのである。
今動きつつあるところを見ることで、進むのである。
どこがうまくいかないのだろう、という問いかけは、ここまではうまくいっているということが明確になるぐらい、まともにできてからの話だろうと思っている。
と、今夜は考えているが、明日は知らない。