1350話
たとえば「愛しのあの娘(もしくは彼氏)」なしに、「めろめろ」に陥ることは難しい。
恋愛における身体の変化は、血色、肌色、脈拍、ときめき、赤面、うきうき、こころも軽く、身も軽く、など多岐にわたる。かつ、そのエネルギーは莫大膨大甚大重大多量大量強力なものであることは、ご経験のある方は多かろう。
それらは、恋愛対象の彼・彼女との「関係性の上に、引き起こされた」ものであって、意図的に作り出すものではない。
というような現象の裏に流れる原理にアクセスした結果として出会ったのが、昨日の嬉しい混乱の「それ」。
筆者は二泊三日混乱していたのを、午前中の一時間に一気に注ぎ込まれたのがY田くん、ドラ崎ちゃん、I先生。
Y田君は、その後の食事の際にも徐々に口数が少なくなり、その影響の甚大さが想像された。(ドラ崎がしゃべりすぎたから口が挟めなかったという見方にも密かに一票)
ドラ崎さんは、本日引き起こされた変化は、何年練習したからといって身に付くものとは思えないと、やけくそでチャイをあおりながら(うそ)結論づけた。
サーブレシーブを想定していたI先生は、あまりの変化にしばし絶句し、「今まで本気だと思っていた本気は何だったのか」とうわごとのように繰り返し、先に退室される際には、正座最敬礼約7秒の後帰られた。
何にせよ、みんな絶句し、呆然とし、混乱し、錯乱し、希望に満ちたのである。
能力は付けるものではないのだ。
結ぶ関係性によって、引き出されるものなのだ。
私一人で「自分」の能力を伸ばそうとしても、そんなもの伸びようがないということだったのだ。
自分で出そうとしては出ないのだ。
何に結ぶかで、こんなにも違うのだ。
「あれ」と結ぶと、こんなに変わるっていうのは、やはり日本人だからだろうか。
素敵だ。