1367話 やられ力

頭で「やろう」としていると、身体も「やろう」としていると勝手に思いこんで来たけれども、まったく違う。


普段はそうできているのに、たまに心と体がちぐはぐになるのではない。(少なくとも一般人はそうだと思う。天才や達人はどう見えているかはわからないけど。)


ず〜とちぐはぐで、それが顕著な時とそうでない時の二つがある、と思った方が良さそうである。


普段はまともで、時々調子が悪くなる(やる気がでない、フォームが崩れる、萎える)のが私だと思うのと、普段から心と体はばらばらで、その心身のバランスでは追いつかない対象と向き合う羽目になる場面と、なんとかごまかせる場面があるだけなのだ、という前提を取るのとでは、取り組み方はまったく変わる。


ふだんはまともだと思っているなら、うまくいかない時、「何でできないんだろう」という言葉が頭に浮かぶ。


つまり、できるはずだ、と思っているのである。


自分のちぐはぐさを自覚していれば、できるできないの二分にはせずに、「どの程度、どれぐらいできているんだろう」という現実を見る反応になる。


自分は常に間違えている可能性がある、ということを持ちながら進めていくのと、「間違えていないはずだ」という「根拠のない前提で進めていくのとでは、先行きに大きな差が出るのは必至である。




心と体のちぐはぐさを自覚したのは、空手の突き、その引き手を考えていた時である。


相手の顔面を突きで狙う。目は目標地点を見ているし、思いもそこを突くぞと思っている。


だから、これで準備完了だと登録している。


ところが、やられる側には少しも危機感が伝わっていない。怖くないのである。


どこがおかしいのか?


肝心の拳が、少しも突く気になっていないのである。ただ脇の横の駐車場で停まっているだけなのである。


だから、その拳が正しく目標をとらえた時、相手は重心が浮き、バランスに狂いが生じ、怖さを感じてくる。


「ロックオンされた」


という実感があるのである。


頭や意識が狙ったと思ってても、実際の仕事をするのは身体なのである。社長がいくらやる気になっていても、実際に仕事をするのは社員なのである。


社員が仕事の対象をロックオンしなければ、まったく仕事にならないのである。


ということに気づいて、さっそく稽古。


頭は今からやることを決めるだけ。身体が対象をロックオンする感覚をもって今までと同じ技を色々試みる。なかなかに良い感じである。


が、


ロックオンするまでに時間がかかる。動きの質はあきらかにグレードアップしている。だから過去の取り組み方からこちらに乗り換えるのは必然なのだけれど、時間がかかるという欠点がある。というところで、午前中の稽古終了。



夜の稽古で、欠点の改善方法といきなり出会う。感動である。


やろうと思うから、時間がかかるのである。


「自らに浮上させたい能力は、相手の中にそれを心眼で体感視する」


これが12月下旬から道場で採用している「最優先の練習方針」である。


相手をロックオンしようとしたら、自分がロックオンされれば良かったのだ。



詳しくは道場で。



なんて、出来た出来たとうかれていたら、日野先生のブログにこうあった。


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http://www5.diary.ne.jp/user/541525/

「地味な一年を」


気付いた!出来た!そんなことは、しばしばある。
誰にでもある。
しかし、それは単に入り口を見つけた、ということに過ぎない。

【中略】


同じ動作を、まるで同じに百回でも千回でも出来なければ、それは身体技術ではない。
そんな地味なことを、今年もきちんと稽古していこう。

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「……」