1369話 私が思う私

困っている人の動きは速いです。


困っている人だと思って、解決策になるのではというものを提案し、講習しても、動きが伝わってこない人たちもいます。


現状を嘆く人にも、だから困っている人と、不平不満があるだけの人があるようです。



なんとかしようと「している人」と、なんとならないかと「思っている人」の差でしょうか。


ここでやっかいなのは「なんとかならないかと思っている」人が、自分のことを「なんとかしようとしている人」だと登録していることでしょう。


はたから見れば、一目瞭然なのですが、当人はそう思っていない。


なんて書いている私は、どっちなんでしょうか。



ところが、意識はまた「どちらか」に決めたがるのですね。


現状の私の中での、実際の割合はどうか、という見方の方が今後につながりそうですね。




今日、サラシャンティの帰りに、六甲駅で切符を買おうと、いつもの大きいビジネスバッグをどしんと切符の販売機の前に置いて、なかから財布を取り出すのに、まごまごしておりました。


ら、


つかつかと後から近づいてきた年配の女性が


「切符買いますか?」


と尋ねてきました。


「買わないのだったら、早くそこを空けてくれません?」


という意味だと受け取りながら「買います」と答えたら


「これ、今日の12時まで使えますからどうぞ」


と、「初詣 阪急電車 一日フリー券」を差し出すのでした。その方は、もう今日は使わないから、誰かに使ってもらおうと思われたようです。


「あっ、すいません、なんかよくわかりませんが、ありがとうございます」


と受け取り、ありがたく使わせていただきました。



私は、「思わず、使ってもらいたくなるような好青年の気を発していた結果」のフリー券プレゼントだと思っているのですが、もしかしたら


「思わず恵んでしまいたくなる、貧相な中年」だったからプレゼントされたのかもしれないのでした。


自分が思う自分と、他人が見る自分には、こういう差があるのでしょう。