1376話

相手、対象にロックオンされると、私の「自意識」がお休みしてくれます。


ご縁、関係者にロックオンされると、その度合いがさらに増します。



環境や大いなる摂理にロックオンされると、さらにその度合いが増します。



再現しようとすると、消えます。



やる気を出そうとしても、出てくれません。


そこにあるのは「やる気を出そうとする私」です。


やる気はどこにあるのか、と探すと、変わってきます。


自分の中に探すよりも、目の前にいる人の中に「やる気はどこにあるんだろう」と目を向けるだけで、さらに迅速に身体が動きます。


すると、やる気というのは、出すものではなく、やる気がある状態というのは、躊躇なくすでに動いてしまっているような状態である、ということが分かります。


K藤さんは、なかなかめんどくさくって手がつかない用事をする際に、一人暮らしで誰もいないので、部屋にあった「ぬいぐるみのクマ」を見て、どこにやる気があるんだろう、と体感視しました。


ら、用事があっという間に片づいてしまいました。


これらを実際に実行した人は「やる気を出そうともがく意識」というのは、ピント外れだ、ということが分かります。


そこにいるのは、「やる気に導かれて躊躇なく動く私」ではなく「どうやったらやる気が出るんだ」と「考えている私」です。




ロックオンされるにはどうしたらいいんだろう、と「考えている」人は、ロックオンされる感覚と出会うことはありません。


すでにロックオンされているものと自分を扱って、ふだんはないのに、ロックオンされた!と宣言した際に出てくる変化を感じ取る構えができていると、できます。



問題を解決しようとする時、頭の納得する方向に探すと迷路にはまります。


「どうやったらできるようになるだろう」という回路を通るからです。


「どうやったらできるようになるだろう」という前提を立てるということは「今でできない」という宣言をしていることになるからです。


「どうやったらできるようになるだろう」という問いは、もちろん上達には欠かせません。


が、それを言うのは、まずやってみて現状を正しく把握認識した後です。



というようなもののとらえ方で、最近は取り組んでいます。