1403話 働き者の真相

昨日の記事を読んだ。


細々とした一日ということである。読んでみると、実に働き者で稽古熱心な私がいる。


が、実態は違う。


読者の誤解を招かないために、真相を書こう。


まず、今日はこんな一日だったと書き出すぐらいだから、日々の中できわめて、稽古やお仕事や私生活が充実していた日を選んでいる、ということである。


次に、この一日は、「やったことをメモに記録していく方式」を実践し、そのメモを元に書き出している、ということをこっそりと書いている。


メモを転記しているのであって、正確に一日を描写しているわけではない。


以前に講習した「やったこと記録法」の時には「とにかくやったことを漏らさず書きましょう」という方式であった。


しかし、最近は全て書き出す方式は休止している。


そして、稽古や勉強や練習や準備や家族とのふれあいなど、「いい時間だなあ。いいことやったなあ」「充実しているなあ」と感じられることのみ書き出しているのである。


ゆえに、だれている時間、意味不明の時間、建設的でない時間、投げやりな時間、とても人には言えない時間などに実際にやったことは、はなから記録されていないのである。


記録をつける際には、その上段の行に書かれている筆者の行動の記録は、全て「おまえってなんていいやつなんだ」と感じ取れる様なことばかりなのである。


しかし、そうなるとさらに「俺ってなかなか働き者だなあ」とか「稽古熱心だなあ」と感じてしまい、ますます記入できるような内容に行動が方向付けされていく、というようなものなのである。


人間、そんなに単純じゃないぜ、と思われる方は、きっとそんなに単純じゃないのでうまくいかないだろう。


これを読んで、やってみてうまくいかない人がいても、別に筆者の責任ではない。


筆者は、筆者にとって成果があがればそれでいいのである。


筆者以外の人がことごとくうまくいって、幸せになり、成功し、栄冠を勝ち取る「万人にとって正しい方法けど筆者には通用しない方法」よりも、「他の人にとっては何の成果をうまないのに、自分自身にだけは続々といい結果をもたらす方法」の方がいいのだ。


しかし、最低限筆者がうまくいったということは、他の人が実践してもうまくいく可能性はある。


やってみてうまくいったらご報告下さい。


すると筆者はすかさず記録メモに「迷える子羊を一人救う」と書くであろう。たとえ、その方の取り組み方がぬきんでて良かったために、その結果がもたらされたとしてもである。


かくして、筆者の毎日はことごとく幸せに塗りつぶされていくのである。ははは。