1420話 目

人の目というのは、映像を受信する機能を持っています。


見るというのは、「今私が見ているような映像」を認識することのように思いこんでいましたが、どうもそうではないらしい。


「今見ているような映像」と言いましたが、同じ人でも眼鏡をかけるのとかけないのとでは、まったく違う世界を見ているのですから、「今見ているような映像」というものは実態とは違う。


緑と赤の区別が付きにくい色覚の「異常」とされている目の状態の人が日本人の場合は男性で5%ぐらいあります。



それではその目は「劣っている」のかというとそうではないのですね。


赤と黒が混じっている模様などは識別の感度は低いかもしれませんが、そのかわりに「緑」の濃淡に関しては、「普通人」の数倍の細やかさで識別することができるんだそうです。


現代社会では劣っているとされている能力ですが、これがジャングルや緑一色の世界で生活しているとなると、死活問題とかかわってくる。つまり、現代では色覚異常とされれいる目は、くさっぱらで緑色のバッタ(食料ね)を容易に見つけることができる、とってもすぐれた目だということなのです。


黄葉の山々はよく解らなくても、新緑の山の緑の模様などは、ものすごくキレイに見ているのでしょうね。


異常とか欠陥だと思われている目の状態も、実はどこでなんのために使うか、ということが変われば、異常でも欠陥でもなく、特性特質長所になるということです。


目がテレビのような機械だと仮定して話を進めると、色覚特性というのは、目の欠陥なのではなく、そのテレビの色彩調整のつまみが、緑の濃淡に関して多めに絞ってあるだけだ、ということです。


つまり、目に用意されている機能は、現代人が使っている機能よりももっと多彩で幅広く用意されている、ということでしょう。



「自分が見ている景色」にとらわれることは、自意識の過剰をまねき、整体や武術では質を低下させるということが、昨今の研究で体感していることです。


ところが、見方を変えると、それぐらい目というのは、自分のあり方に及ぼす影響が強いということになります。


そして、目という部分には、『現代人が日常で使っている機能よりももっと多彩な機能が幅広く用意されている』ようなのです。


つまり、『現代人が日常で見ている映像に変換するために必用な情報をキャッチするよりも、もっと多彩に幅広く情報をキャッチする機能が用意されている』のです。


おそらく、目を見る以外に使っている人は少ないと思います。(ウインクで色気を振りまくなんてのは別として)


目で触れてみる、ということだって別に法律で禁止されているわけではない。


裸眼で触れたら角膜が傷つきますから、まぶたを閉じた状態で、目でものに触れてみる。


と、ちょっとびっくりするような世界が現れます。私はびっくりしました。


ということの詳細は、1日の自然体チューニングと、「からだで速読講座」で。