1468話 川の流れ

藤森のテラルネッサンスさんの事務所におじゃまして、帰りの少し時間があったので、中書島でおりて「寺田屋」へ。ずいぶんと久しぶり。


ずずず〜っと以前に。坂本龍馬ゆかりの寺田屋の前には川なんかなかったじゃないか、というようなことを書きました。


が、間違っていました。


寺田屋と川の間に家が建っていて、気づいていなかっただけでした。


今じゃ、そこに「三十石船」と名付けて、遊覧船が走っておりました。


といっても、明治の古写真に写る寺田屋前の川幅からすれば、数分の一の狭さにはなっていましたが。


川沿いにずっと淀川(宇治川)との合流地点まで歩いて行きました。そこは複数の大きな水門の堰(ダム)になっていて、うち二三カ所が空けてあって、そこから急流が流れ出ております。つまり川底は、そこからいきなり斜めに下っているということです。


さらに本流との合流地点には、二段階の高さでテトラポットが積んであり、そこで急流の流速が減速されて本流に注ぐというしくみになっております。


だから、寺田屋前から来た遊覧船は、このダム付近でUターンしてかえります。


堰の水面と、宇治川の水面の高さの差は、どんなに浅く見積もっても2メートルはあります。宇治川が圧倒的に低い。寺田屋からダムまでは緩やかな流れですから、高低差はほとんどありません。


何が言いたいかというと、寺田屋前から大阪まで、坂本龍馬勝海舟も、三十石船で行き来しておりますが、宇治川が今よりも2メートル以上水面が高い位置にないと、三十石船なんかで行き来できない、ということです。


寺田屋の前の川の水面と寺田屋の高低差は、古写真のころよりも小さいことはありません。今の方が高低差があるぐらいの印象です。だから、宇治川は今と水面の高さは変わらず、寺田屋の前の川が、もっともっと低い位置にあった、という説は成り立ちません。


寺田屋の高さが変わるはずがありませんから、寺田屋前の水面と、ほんの少し低いぐらいで宇治川の水面がないと、船で行き来するのは不可能です。


カヌーのように下る一方なら話は違いますが、船で上り下りしていたわけですから、下りよりは時間がかかっても、上りにも対応できるようなゆるやかな流れでなければ、海運が成り立ちません。


しかし、一般的には川は増水時の方が流速が速いです。伏見あたりの宇治川は、けっこう深いし、流れも4キロ以上はあります。人間が歩く速さぐらいは軽く出ています。(実際に以前カヌーで下りました。快適でした。快適ということは、流れがあるということです)


あれが二メートルも増水したら、さらに速い可能性があります。すると、人を十人以上、あるいはたっぷりと荷を積んだ三十石船が遡上するのはきわめて難しい。川船が遡上する時には、風があれば帆を使ったり、川岸で引っ張ったりしていたと読んだことがあります。


鉄道と道路や車の整備される前の舟運は、いったいどんなんだったんだろう。どんな川だったんだろう。


やはり謎の多い寺田屋探索でした。