1474話 やる

「やる」ということは、いかに自分が「やった」という手応えを持つことではない。


やる、ということは何らかの流れの一部として自分が機能するということだから、うまく「やれて」いる時には、やった、という手応えは限りなく小さい。


というようなものごとの見え方や感じ方が出てきて、こういうことが、野口先生の言われる「すらすら容易に」ということかな、と思う。


今は。