1514話 時空刑事・中村武生率いる四十六士は…

ちょっとタイトルが長くて上に入りきれないようなので、下にタイトルを。



「時空刑事・中村武生率いる四十六士は、龍馬&おりょうも同伴し、関ヶ原を縦横無尽に駆けめぐり、フィニッシュは織田信長のDNAと遭遇したのであった」



今日は、歴史地理研究の中村武生先生の「基礎から学ぶ日本歴史」の現地勉強会バスツアーで、関ヶ原の古戦場を巡検する会。


講座受講生以外にも門戸が開かれており、ちょうどオフの月曜日の日程であったので、ネットで見かけて即・申し込み。


バスの集合が、京都市役所前の八時出発。道場に泊まって六時起きで京都へ。


レトロ調の京都市役所について、びっくり。京都市民には何の感慨もないことかもしれないが、市役所の前はあの「本能寺」ではないか。一瞬、燃えさかる社寺の中で、「是非に及ばず!」と最後を迎える信長がちらっと見えたような気がした(うそ)。


しかし、気分は400年以上も一気にさかのぼり、「戦国末期」かつ「徳川時代への序章」気分満々の筆者であった。


46名のバスは、私よりも人生の先輩の方々がほとんどで、エネルギッシュに満席状態。


約二時間の道中で関ヶ原へ。


巡検のオープニングは、「関ヶ原」の名前の由来となる「不破の関」、つまり昔の関所跡から。


どやどやと説明を聞く参加者の中に、ふと見ると、壮年のやたらたくましい男性の頭の上に髷(まげ)が乗っている。


背中にワンポイントのマークがプリントされた・・・、おおお、マークではなくて、家紋だ。あの家紋は坂本龍馬のものではなかったか。おお、この人が特定非営利活動法人「京都龍馬会」理事長にして、全国龍馬社中副会長のA尾さん!


ようするに中村先生のブログに頻繁に登場する「居酒屋龍馬」のマスターである。


ということは、同じく赤いTシャツの背中に同じ家紋を染め抜いたグラサンの女性は、同じく中村先生のブログの頻繁に登場するおりょうさんではないか。


歴史デカ・中村武生&龍馬&おりょう&歴史にはちょっとうるさい人生の諸先輩軍団は、「合戦開始の地」「小西行長布陣跡」「宇喜多秀家布陣跡」「西首塚」「中山道・北国街道・伊勢街道のクロスする、『だから関ヶ原はだいじだったんだよポイント』「開戦ののろしの上がった山」「徳川家康 最初の陣地」「石田三成陣地」「最終決戦の地」「島津勢 決死の脱出経路」などをぐいぐいと巡検して回り、あっというまにタイムアップの三時過ぎ。


資料と現場の二つで歴史をひもとく、中村先生の歴史地理はやはり面白い。これがある文献の解釈をどうするのか、という学説のどちらを取るのか、なんてのになると、これはもう学者だけの世界になる。


しかし、地理が入ると違う。現場が入ると違う。私が感じた現場のその「歴史」というものが描ける。楽しい。



やはり現場に行かないと解らないことは解らない。


関ヶ原と言っても、巨大な国立競技場のようなフラットな土地ではない。盆地ではあるが、傾斜勾配微高地丘川などがあり、敵陣を一望に見おろすのと、見下げられるのとでは精神的にも肉体的にもまったく違ったであろう。


石田三成の陣、西軍主力の陣立てこそ、中山道を西進してくる徳川をぐいぐいと見おろし、圧倒的有利な布陣であったことが実感できた。


これで、左手の毛利、右手の小早川の両回しに手がかかれば、かんたんに「あびせたおし」で勝ちを得た西軍であったろう。


筆者の観た「関ヶ原の合戦」。それは、両回しに手がかからず、おまけに自分の回しがずるっとゆるんで(動かなかった薩摩)、腰が浮いてあたふたしている間に、がぶり寄られた合戦であった、ということがよ〜く解った。(あくまでも筆者の主観ね)


ぐいぐいと旧跡を歩きながら、要所要所で炸裂する中村先生による適切なる解説は、時空を超えた臨場感を与え、そうか、この地で満員の甲子園の阪神巨人戦4〜5回分ほどの人が死力を尽くしてぶつかったんだ、という重みがぐいぐいとせまってきたのであった。


さて、またしても京都市役所に帰った一同であった。


てんでに解散の途中、ゆっくりバスを降りる人、片づけする人など15人ほどがバス前にたたずんでいたところに、大きな花束を持って正装した若いあんちゃんが通りかかった。


「ん?」


おおおお、フィギュアスケート織田信成さんじゃないですか。


関ヶ原の戦いとは、要するに織田信長を継承した秀吉亡き後の主導権争い。


聞くところによると、明日が信長の命日。信成さんは、その法要だか式典だかに参加(参列?)のため、今日は「本能寺会館」に泊まっているのだとか。


バスツアーの残党15名は、思わず織田さんの方を向き、万雷の拍手を送ったのでありました。


にこやかに手を振り返す好青年織田信成さんでありました。


申し訳ありません。


織田さんは「フィギュアスケートの織田」に手を振られたと思っておられたでしょうが、私が思うに、バスツアー残党15名が手を振ったのは、織田信長の末裔としてのあなた、つまり信長のDNAに思わず手を振ってしまっていたのでございます。