1519話 見方のずれ
不調な時代が長かったMさん。
ずいぶん元気になりました。
おなかテーピングの効果を調べるために、その場ジャンプをやってもらいましたが、まだ体がぎこちなく、なわとびのように連続でジャンプができません。
上下運動対応テープを貼りました。
笑顔で高々と連続ジャンプが可能になりました。
それを見本に各自実習。みなみな同様に高々と軽快にジャンプできるようになりました。
Nさんの感想が「膝が柔らかい、肩が柔らかい」
それもそうなんですけど。
これって「連続ジャンプができない人が、楽々高く安定してジャンプできるようになって、しかもしんどくない」というメニューですから、まずは「高く飛べるようになった」ということを味わっていただきたいんですけど。
速く走れる方法を習ったら、速く走れたのに、速く走れたということを見ないで「足が軽い」だけを言われているように感じたのですね。
もちろん、「膝が柔らかい、肩が柔らかい」というのも素敵な変化ですから、まったく否定するものではないのですが、高く飛べる方法を習って、それがどうだったのか、というのを見過ごしているのですね。
ということは、Nさんはこの方法を「柔らかくジャンプできる方法」として受け取っていて「楽に高く飛べる方法」としては記録されない。
でも、ジャンプを柔らかくすることは可能でも、同じ力でいきなり高く軽快になるというのはなかなかないと思うのですね。
人は、見慣れたものを見てしまい、興味のあるところを見てしまい、それが「見るべきツボ」にはまっていればいいけれど、それがずれていると、大事なことを見落とすということかと思います。
もちろん、個人の「こだわり」はあってもいいんですが。
でも、「特にそれを見る」というのと「それ以外は見えていない」というのは全然違う。
今、実家に泊まって朝、これを書いています。
昨夜、おなかテーピングを母上に施しております。
起きてきた母上に調子を聞くと、昨日、一度手洗いに立ったけれど、その後朝までぐっすり寝たと言います。
夜中に目が覚めると、いつも数時間眠れなくなる。すぐに眠れるというのは、それこそここ数年なかったと言います。それが前回テーピングをした時と、昨日テーピングをした時と、どちらもその「眠れる」になったのですね。
体の不調をいろいろと訴える母上ですが、「でも、ぐっすり眠れるようになった」ということを自覚できると次が違ってくると感じるのです。
「眠れるようになった、でもまだ○○の調子が悪い」というのとは違ってくるはずです。
そのあたりがとても重要だと思います。そして、そのことは他人には客観的に簡単に見とれますが、自分のはきっと見落としている可能性が大です。
私は、私の何を見落としているのでしょうか。それを見つけられるようになる課程で見えてきたものがないと、人のそれを動かすことはできないんでしょうね。
【昨日の読書】
「鬼平犯科帳」 文春文庫 14巻
言わずと知れた池波正太郎の傑作時代小説。ものすごく読みやすい。繰り返し読んで飽きない。