RUN話

マイ自転車がなくなってから久しい。


ある日、市役所に出かけるときに、家族の自転車を借りて乗ってみてびっくりした。


「なんでこんなに楽なんだ〜あぁぁああぁあ!」


自転車の動力源は「私」である。私の左右交互の脚の動きである。それ以外はこれっぽっちもない。にもかかわrず、筆者がふだんの歩行時にせっせとを動かしても、時速4キロか5キロぐらい。たぶん6キロというのは、よほど覚悟を決めて歩かないかぎりありえない。


ところがどっこい自転車は、足の左右交互の動かす速度といったら、歩くときよりもゆっくりである。しかも疲労感もない。ところが、その速度といえば、普段の歩行時の私を、遠く後に置き去りにする圧倒的な速さである。


10キロやそこらは鼻歌交じりで走れる。


ちょっとその気になれば、20キロぐらいは軽い。それ以上だって、目じゃない。


そこで、「あ、なんて楽なんだ」というので、それ以来自転車の愛好者になりました、というふうには筆者は、反応しなかった。


悔しい!というふうに反応した。


同じ私でありながら、自転車を媒介にして位置の移動を試みると、こんなにもスムーズに手ごたえ足ごたえなしに高速で移動できるのに、歩くとなったらこんなに遅く、かつ「歩いているぞ〜」というぐいぐいした手ごたえがある、ということは、私の体の使い方というものは、とんでもなく雑でずさんで非効率的なんだということにショックを受けたのである。


「なんで私ができることが、私にはできないんだぁあぁあぁああ!」


それ以来、心中(しんちゅう)ひそかに、自転車というのは、生涯をかけてのライバルとなった。


「自転車め、いつか見ておれ」と思わない日はなかった(これはウソ)


こたび三ヶ月の「走り生活」を振り返るにあたって脳裏をよぎったのは「いかに自転車の快適さを追いかけてきたか」ということであった、ということを思い出した。


私は、決して早く走りたいとか、マラソンで4時間を切りたいとか、そういった「走り単独での記録更新、能力アップ」というものは追いかけてはいなかったのである。


自転車に乗った私と、自転車に乗らない私が勝負していたのである。


自転車をこぐぐらいの感覚で移動したい、という強い願望につきうごかされていたのである。


また、今日も予告編だけで終わってしまうのだが、以下に紹介する予定の筆者の「こだわりのRUN」の数々は、この「対自転車追撃戦」という側面をお知らせすることなくては、読者諸兄には決してご理解いただけないと直感したゆえの「必要な脱線」であるとご容赦いただきたい。


以下、明日には「こだわりのRUN」をご紹介する予定である。(と書いて大丈夫なんだろうか)