やっぱりうまくいっているような気がする

「うまくいっているような気がする」を書いたのが、先週の月曜日。


あれからまた一週間たったが、やっぱり「うまくいっているような」気がする。


筆者の人生の中で、これほど「よいこ」だった日々が毎日毎日続いたことはない。


今週は、早寝早起きが加わった。


なぜか5時台にすぱっと目が覚める。


昨日は、夜、八木君とH住吉高校芸能文化科の授業のことでうち合わせし、ついでに今回の「訳が分かんないほど、日々の充実度が上がってしまう方式」についてあらましを聞いてもらった。


熱がこもって、結局終電で1時に自宅に着いて、寝たのが2時。


でも、やっぱり5時台にすっきりと目が覚める。




今日は休みだけど、まいちんがスイミングの試合なので、車で40分程度の海南のプールまで送迎。


花見はみなさん出かけるが、花が散ったすぐ後のこの時期の「山見」の方が筆者は好きである。


若葉が色づき、山々が木々それぞれの若葉色のグラデーションを描き、冬の山と比べると一回り「むっちりと」盛り上がってくる春の山々である。


もう、山全体にエネルギーがあふれているのである。花見と紅葉にはみなさん出かけられるが、花見は桜が大量にないとありがたみにかけるし、紅葉はその時の通り「赤」やら「黄色」がくっきりとした木々でないと、なんとなくくすんでいてこれまたありがたみにかける。


しかし、春の山は、針葉樹林でないかぎりは、どの山みてもむくむくである。全山くまなくむちむちである。


なんてことを、プール近くの駐車場でまいちんを待つ間に感じつつ、がさがさと持参の「研究」「ちょっとした事務仕事」などを着々と片づけ、夕方4時30分に、本日予定していた業務・稽古・トレーニング・研究がすべてその予定を終了した。



早寝早起き化も起こっているし、たばこの本数も減っている。数ヶ月にわたって散らかり続けている筆者の部屋も、徐々に日々片づき始めている。


何か、大きなことを達成したぞ!という話ではない。


「やろうやろう、いつかやろう。やらなくっちゃ、つづけなくっちゃ、でもできないわ」


というたぐいのものが、かたっぱしから手がつき始め、動き始め、片づき始めているのである。そして、その状態が日々息切れすることなく、およそ3週間続いてしまっているのである。


できる人にとっては当たり前のことでも、筆者の新旧比較では、これはもう「事件」である。



強く決心したわけではない。


誰かの講演か著書で、「脳がぶん殴られたような」経験をし、号泣し目から鱗が落ち、生まれ変わった結果などでは断じてない。


目標を書き出し、ブレイクダウンして日々のスケジュールを完璧にしている、というのではない。


「成功手帳」とか「成功ノート」とか、「成功者の熱い言葉テープ」を毎日聞いた結果などではない。



メモ用紙一枚とボールペンと腕時計が必須。、あとは自分の手帳と研究ノート兼日誌にしているノートぐらいしかいらない。(仕事の道具は別ね)


2年前に提案し、その後ずっと試行錯誤してきた「やったこと記録法」の次世代形であり、確かに「あれ」を圧倒的に上回る効果で現れたようである。



今回の「怠けものの筆者をよい子に変えた方法」を、その特徴・特色から「たこやき方式」と名付けた。


私の怠けぐせを治すのに、決意も決心も計画もいらなかった。「○○○の並んだたこやき鉄板」と「串」があれば良かった。(これは嘘)


私の怠けぐせを治すのに、決意も決心も計画もいらなかった。しかし、結果的に早朝から始まる「今までなら後回しにしていたこと」や「手遅れにしてしまっていたこと」や「手がつかなかったこと」や「あっという間に挫折していたこと」を次々に始動させ、活発に継続させてくメカニズムは、まさしくたこ焼きそのものであった。


どこまで続くたこ焼き方式。(の効果)