できなくって

夜の整体教室。


「やろうとすると、似て非なることをする」



「何をするかを決めたら、身体が実際にどうしているのかを見る」



ということを稽古。


できません。


みなさん「何をするかを決めたら、身体がどうしているのかを見る」のではなく、「何をするかを決めて、身体がどうしているのかを見ているかのような想定をして、その想定に応じた手ごたえをつくって動く」に陥ってしまう。


場面を変え、テーマを変えて「やっているつもりで偽装してるでしょ」ということを理解していくように進む。


ある段階で、一人の受講生の方がついに動けなくなった。あまりのハードトレーニングに疲れ果てて、というのではありません。


自分が「やれていると思っていたこと」が、実は「自分の脳の中で完結している自己満足的な動きだ」ということが「くっきり」分かってしまったために、再び「臭い芝居」をすることができなくなってしまったのです


といっても、そんなに難しい稽古をしている時ではありません。「エア・ぞうきんがけ」の時です。


回りのぞうきんがけをする他の受講生を呆然と眺めて、一手が出せなくなった、その方でした。



翌日、その方から心のこもったお礼のメールが届きました。


「何かができるようになった、分かったのでそのお礼」というのならよく頂きますが、「身動きできなくなって」お礼、「次、どうしたらいいのか途方に暮れて」お礼というのは初めてです。


だけど、本当に進もうと言うとき、「できているつもり」「できているという思いこみ」がどれだけ邪魔をしていることか。


ですから、この「私はまったく違うことをやっていた、次にどう進んでいいか分からない、もう今までのパターンで偽装して自己満足はできない」というスタートラインにきちんとつけた、ということはとってもおめでたいことなのであります。