あれこれ

人はその意思によって動いているわけではない。


脳を観察すると、まずその動きの運動領域が発火して(つまりすでに動き始めているのである)しかる後、「○○しよう」という脳の領域が発火する。へたすると1秒近く前にそれは起こっている。


「○○しよう」という領域が発火して後、○○するための運動領域が活動開始するわけではないのである。


ややこしいですね。


やろうと思ったら活動開始するのではなく、やりはじめてからやろうと思っているというのが、実際に私たちの身体の中で起こっている現象なのである。


つまり、私たちは自分の意思でやろうとしているけれども、実際にはそうしていないんだから、意思でやろうということは功を奏しない。


今回原稿を書いていて、自分がこの数年追いかけてきた色々の整理がついてのだけれど、大前提はこの「私は私の意思で動いていない」ということである。


「決心するから挫折するんだ」「計画しなければ頓挫なし」というのがたこ焼きだし、矢印柔軟法なんてのも、自分が曲げようとする方向への意思を否定している。


やろうとしたらウソになるし、やろうとしなければ動けない。だったらどうしたらいいんだ、ということへの試行錯誤がここ数年である。だからどんどん世間の常識からは離れたけれど、常識を越えた成果を出せるものにも出会えた。


いちいち決心なんてしなくっても、それなりに何かしているのが自分である。それは何かの刺激、情報に対しての反射として出てきていることが見て取れる。だけど、それは偶然に近いもので、自分の意思のコントロールを離れている。


だったら、自分の意思はどこに使えばいいのか。


反射の前に使えばいいんじゃないかな、というのが筆者の現在の目の付け所である。


前屈をする時に、前屈しようとして前屈するのではなく、前屈が反射で出てくる環境に自分を持っていくのである。


それを「能動的受動」と名付けた。


それがたこ焼きだったり、矢印だったり、左手グッドだったりするのである。




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27日


左手グッドによる、昨日の常識は今日の非常識状態で、決まった中身を繰り返せなくなった定期レッスン。


原稿を書いたことで、ひとまとまりになったので、「復活皮下チュー」「復活進化体操」に「左手グッドあれこれ」をブレンドして、新しく「毎週ほぼ同じ中身を繰り返すことに耐え、かつ新しいことも加えていけるプログラム」を考える。


とりあえず一案。


授業でやってみる。


考えて組み立てたことと、実際にやってみて見えてくることは違う。


考えていてはみ出していたものが、するすると入る。


なかなかいいのができました。


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28日 今日は午前中〜昼過ぎまで墓参り。


9月お彼岸は仕事で行けず。8月は既報のように、高速道路でタイヤがバーストして死にかけて(ないけど)、中止だったので久しぶり。


小雨の中を墓参。