自分が大事 だから

先月の後半から始まったいくつかのこと。


「周辺意識の濃淡にアプローチする」と、今年早々の「自分を整えるなら、自分のことは置いておいて、自分にかける調整を他人にかけることをやると、よほど短時間で効果的なので、これを優先する」「他人が目に入らない時は、イメージで分身を作って、それにかける」「分身もけちけちしないで大量につくる」などなど。


いいです。


朝はまだからだが硬いと言いますが、今朝特に感じたのが、朝っぱらからなんでこんなに柔らかいのという感触。



同じことばっかり書きますが、自分の身体を自分一人でどうやったらより質良く整えられるかとやってきて、一方で仕事として人に整体をしている。


整体と言っても「気の整体」なので、相手が整っているかどうかというのを、相手に感応して感じ取って調べていくということをくり返しているわけです。相手の方が整った時には、自分ももちろん整っている、とそういうことを毎日毎日くり返していたわけです。この10年。


人にかければ整うということを毎日やりながら、それそのものを日常に取り入れるという発想にならなかった。


なってみたら、「これはいいわ」「やっぱりいいわ」「すこぶるいいわ」状態の日々です。


そういえば私は人混みがすこぶる嫌いで、一昨年あたりのブログには和歌山の誰も来ない山の、川にいってリフレッシュしたなんてことが書いてありますが、そういえば昨年は一回も行っていない。(海の見える喫茶店には行きましたが、原稿書いていました)


人混みも、混んだ電車も「あっ、いいトレーニングできる」。


肩がこったから、人混みに行こう状態です(わざわざ行きませんが)。


まだ始まったばかりの道場ですが、レッスン参加のみなさまも早くこの感覚を身につけられるといいなあと心から思います。


だいたい(これも同じことばかり書きますが)しんどい時というのは自分にこもる。自分のことしか考えられなくなる。そのしんどさのことしか考えられなくなる。取れろ、取れろということばかり考えてしまう。


それを取る方法を他人に観るということになると、もうスタートラインが違うんです。その時点で、自分と一体不可分だった不快感を切り離して客観的に観ている。これができるだけで全然違う。


私は私が可愛い。この世の誰よりも大切なのは私です。


だから私は、その大事な私が快適になるように、せっせと他人に「気のムラ解消アプローチ」をかけるのであります。