どうせ私はいなくなる

明日の日曜日は、新大阪健康道場の秘密結社(ウソ)「ネクスト」の研究会です。


ネクストというのは、道場で提案しているいろいろな方法や取り組み方を、いろいろな専門を持つ方々が、ご自分のフィールドで実践され、よりいい応用法の形を持ち寄って研究する、という会です。


今のところテニスコーチのY田君やみ〜やん、それにヨガの先生方などが参加の予定です。


さて、道場を中心とした私の活動ですけれども、その活動内容は、どういう物差しでもって磨いているのかということを考えると、それは道場や指導者がなくなっても大丈夫な状態に限りなく近づけていこうという方向性です。


道場に通わないと健康が保てないという人がなくなり、指導者に習わないと取り組み方が分からないという人がいないという状態が成り立てば、道場は消滅し、私の活動は存在意義を失います。


昨今「いいぞ、いいぞ」と騒いでるのが


「周辺意識の濃淡にアプローチすること」「自分を整えるなら、自分のことは置いておいて、自分にかける調整を他人にかけることをやると、よほど短時間で効果的なので、これを優先する」「他人が目に入らない時は、イメージで分身を作って、それにかける」「分身もけちけちしないで大量につくる」


というような方法でありますが、これらの方法の習得が進むほど、道場でレッスンを受ける必要がなくなり、整体を受ける必要がなくなるなあ、という手ごたえがあるので、いいぞいいぞと騒いでいるわけです。


どんなにいい方法でも、「それをやらないと健康になれない」「それをやらないと幸せになれない」という方向であれば、それはどっかおかしいわけです。


私がどれだけ力みかえったところで、私の目の黒いうちに、道場の必要性が消滅するような世の中になるという可能性はほどんどないです。たぶん。だから「道場やレッスンや整体がなくても大丈夫な状態」をとことん目指した方が結果として技術は磨かれ、内容は厳選される。そんなふうに思っています。


だから、その中身は生命の基本、いのちの働きの土台に近いものに働きかけることができるものほど、採用ということになります。


習わないとできない、という方向よりも自学自習していけるようになるほど採用ということになります。


「先生これで合ってますか?」という質問が出るようなカリキュラムでなく、「前回よりも今回の方が自分でどうやっていけばいいか分かってきました」という感想が出るカリキュラムの方を採用ということになります。


そうなっているんかい、と問いつめられれば「まだまだです」という答えになるレベルですが、「そういう方向を目指しています」ということが言えるあたりにようやく来ました、とは言えます。


自分が不要になる方向に舵を切ってせっせとやることが、結局は自分のやれることをもっとも良くする。


軍隊は戦争が起こそうと思ってもおこれない状態になれば不要になるし、悪い人が一人もいなければ警察はいらない。子どもが自立できるように育てれば親はいらない。


私という存在はどのみち何年か何十年かたったらこの世からいなくなります。いなくなる存在が目指すこととして、いらなくなる方向へというのは、きわめて相性がいいということになります。


明日は、ですから「他人で練習」「気ムラへアプローチ」「立ち軸」「歩き」「リセットカウント アップからダウンへ」などをやりますが、それらは「道場に来ないでも一人でできるように」「少しでも早く卒業できるように」というガイドラインの結果選択されたものだということを念頭に置いていただくと収穫の多い会になると思われます。


参加者のみなさん、よろしくお願いします。いい会にしましょう。