中断力 中途半端力

私はそこそこできている、やれているという自己認識は、改善の動きを止めてしまう。


もちろん、私にはできっこないと思ったらできないが、私は適切な行動を選んでいない可能性を常に探すことは、必要不可欠な作業である。


私にはできるという安易な思い込みは、今までの自分のパターンから離れられない。


私の行為行動思考選択の何割かは、常に不適切なものを選んでいると思えば楽である。やればできる自分だと思うと「やりさえすればできる」になるが、やれる自分ならとうに出来ているはずである。


やろうと思ってもできない自分が、どうやれば適切な行動を継続できるようになるだろうと探すのである。


やろうと思ってもぐずぐずする。やり始めても続かない。これを「へたれ」と呼ぶ。


へたれの自覚が、脱ヘタレを可能にする。


しかし、ヘタレの自覚に立脚すると、ずいぶんと可能性に満ちていることがわかる。



やれなかったことをいつまでもくよくよしているのがヘタレである。


この「いつまでもくよくよと引きずる能力」を使えばいいのである。


筆者の目の前にはいくつかの片付ける必要のある事務仕事があり、片付いてない部屋があった。どちらにも手付かずの無駄な時間がだらだらと続いていた。


で、筆者は台所の洗いものをとりあえず始めた。そして、二分で止めた。とうぜんまったく洗いものは片付いていない。


で、H住吉高校への返答ファックス(来年度も身体表現の授業担当が正式に決まりました)を片付けようとして、日程確認の半ばで2分がたった。そこで、中断。当然まだファックスは送れていない。


再び台所で4分ほどやる。まだ終わらないけれども、中断してファックスの続きを片付け、必要なメールなどにも取り掛かる。が4分で終えて再び台所へ。台所の途中で、居間やリビングや鞄の中身の整理などにも手を広げ‥‥。取りくむ時間を徐々に伸ばし、手がけることを徐々に増やしていくのである。すると、実行時間は着々と増え、手がけたことも着々と増えていくのである。


しかし、どれもこれもほとんど仕上がっていないので、気弱な僕はやめられないのである。


というふうに、あらゆることを中途半端にしながら、時間を一つの目安にして強制終了していくことを交互に繰り返したら、片付けも事務仕事もずいぶんはかどっちゃったので、こうやってブログを書いているのである。


なんせ僕はヘタレだから、一つことが片付いてしまうと、それで安心して休めに入ってしまう。中途半端にすると、非常に居心地が悪いので、やめられない。



と、こういうふうに「ヘタレの行動原理」に合わせて、とにかく「実行時間が延びてしまう」「継続日数が増えてしまう」というのがTY式時間・生活管理術です。


6日日曜日1時〜5時が3月度講習です。(詳しくは新大阪健康道場HPにあります)