悪人正機説

Y田君がブログで、「へたれん」がジュニアクラスの選手に効果があった、ということをレポートしている。


http://ameblo.jp/okagesama-to/


意識的に間違いをやることで、なぜかより正しい動きができてしまうという練習方法である。


人は「たぶんこれが正しいだろう」と「思っている」練習を繰り返す。ここが曲者である。


正しい練習をしているのではなく、正しいと思っているだけなのである。



学生時代はけっこうな不良だったのが、その後けっこう人情味あふれるエネルギッシュないい経営者になってたりする。


不良とはなにかというと、多くは大人やら社会やらへの反抗心が背景にあるので、それらが正しいと認めているものを、意識的に排除する行動を選択する人々である。


それは喋り方や内容、髪型や服装やライフスタイル、素行など多岐に渡る。


それらは「正しい不良道を歩もう」としてなるものでなく、正しいとか好ましいといわれるものから距離を置こう置こうという不断の努力の結果構築されるのである。


だから、不良に憧れる誰かが、付け焼刃で不良っぽい格好をしても、見る人が見ればすぐに「不良じゃない」とばれてしまうのだ。


言い換えれば、不良ほど、社会や世の中や大人が正しいとしているもの、好ましいとしているものに敏感な人はいないともいえる。


自分たちが正しいと思っている方は、他者と対比することなく、ただそう思っているわけで、正しいとされているものとの距離を常に計測している不良感覚と比べれば、自分の現在位置に対する認識は不良の方が正確である可能性は高い。


ゆえに、徹底的な不良ほど、世の中をちゃんと二つの角度から眺めており、不良的行為をやめた時にはどこにいけばいいのかがちゃんと見えており、その結果いい中小企業の経営者になったりするのではないか、というのが筆者の悪人正機説である。



だから、講習していても、自分がそこそこまじめにコツコツと努力しているという自負のある人は実はあまり上達しなかったりする。自分の立ち位置があいまいだからである。自分が正しいとまでは思っていなくても、間違ったことはしていないと思っているからである。


間違ってます。それ。