口色川区長さんのお礼状

那智勝浦町のボラセンブログをのぞいていたら、口色川の区長さんから、下記のお礼状が届いたと掲載されていました。

    

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 那智勝浦町口色川区の災害復旧に御支援くださったボランティアの皆様

 このたびは台風12号による災害の復旧作業へ御支援賜りまして誠に有り難うございます。

まさか、自分達が住んでいる場所がこのような災害に見舞われるとは思ってもいませんでした。ボランティアの皆様の活動はテレビ等で拝見していましたが、実際に支援を目の当たりにして、その優しさに感動しました。日本のもとにある助け合いの気持ちというものを実感いたしました。御陰で側溝、家屋の土砂掻きなど復旧作業も進み、皆様の温かさ、心のこもった親切を受け区民一同感謝の気持ちで一杯です。


何年かかるか分かりませんが、今後とも復旧作業を続けていき、復旧復興していきます。復興した際には是非とも遊びに来てください。


私達も皆様を見習った活動を行っていきたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。


 平成23年10月31日


  口色川区区長 新宅伸一

  口色川区 区民一同


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 豪快な区長さんが目に浮かびます。水害の後、まだ一週間たっていないころに、絆のブログに「色川の義父と義弟の●●●と○○○の安否が分かりません。消息が分かったら教えて欲しい」というコメントが載ったと、なかこさんから連絡が入り、また助さんからも捜索?要請の念押しメールも入った。


当時は、まだ那智勝浦町ボラセンが「県内に限る」という実質意味不明な制限をかけていたころであり、川関から上には交通規制がかかって二時間に30分しか入れず、携帯の電波は井関・市野々・八反田ではことごとく不通のころだった。


那智谷で活動しているボランティアは、だから実質絆関係の10人強しかいなかったから、ネットで那智勝浦の情報を片っ端から検索して、活動している絆関係者のブログにヒットして、ワラをもつかむつもりでコメントを残したようだ。


ただね、フルネームは書いてあるけど、住所が「色川の」としか書いてない。ボラセンの人に聞くと、「色川と言ってもいろいろな地区の総称で、広いよ。那智の滝側から行けばすぐだけど、その道は不通だからとっても遠い」。


ということで、「名前しかわかりませ〜ん」状態で色川に出かけた。途中偶然支所を見つけて、ゼンリンの住宅地図で探したら、口色川にありました。


で、着いてみると、土石流が道に流れ込みかけている近くにその家はあり、家の周りは片付いているので無事らしい。犬の散歩で通った人に安否を尋ねると「ふたりとも無事、たぶんその先の会館のところにあつまっているよ」とのことで地区会館に行ってみるとバーベキュー大会の真っ最中。おまけにテレビ取材のクルー付き。


安否不明のお二人は、焼き肉にビールぐいぐい状態で、事情を話すと「この地区にもやっと携帯の電波が復活したので、その人とは連絡取れた」とのこと。


「で、そうかそうか、ごくろうさん、詳しい事情はわからんけど、まあこっちへおいで、飲め?車?じゃあ食え食え、どんどんくえ、がははははは」と豪快に仕切っていたのが、ここの区長さんだった。


色川地区というのは、Iターンの人の割合が非常に高く、外からの人にオープンなのである。


「あのなあ、こうやって焼き肉でわいわいできるのはなあ、一人の人も殺させなかったからなんや。屋根の上で子ども二人かかえたお母さんとかもおった。みんなで助けあったんや」


そのころは、那智谷にもまったくボランティアの応援もなかったころ。その後に県外にオープンになって、20日をすぎてからやっと那智谷にもボランティアが回せるようになったが、それも人がそこそこ来るのは土日のみ。


色川にボランティアが入ったのは、オンザロード本体が来て、ボランティアの現場を回せる人が増え、那智谷にそこそこめどがついてきはじめた10月の10日過ぎ。



冒頭の区長さんのお礼の言葉に、実は一ヶ月以上もほったらかしだったのに、もっと早く入れればという後ろめたさを感じる私です。


後日分かったのですが、那智勝浦のボランティアセンター長のご実家が実は色川。トムによると見事に土砂に埋まり、また微妙に低い位置にあるために、側溝がつまった水の流れが家の中を横切り、泥をどけると水が出てくるというひどい状態だったらしい。


八反田の区長さんも、井関の区長さんも、桑木野さんも、徳ちゃんも、地元で復旧作業の中心になっている人は、みんな自分の家の片付けは後回しにしていました。



そうそう、何が書きたかったかというと、一ヶ月ほったらかされていても、やっぱりボランティアが来たら助かったと感じてもらえるんだということ。昨日の熊野川町のSOSもきっとそう。水害から二ヶ月たっても、まだニーズが残っているというのは、誰かが片付けない限り片付かないということ。


誰かが手伝わない限り、進まないということ。


冒頭の区長さんのお礼の言葉も「おかげさまで片付きました」では決してない。


「 何年かかるか分かりませんが、今後とも復旧作業を続けていき、復旧復興していきます。復興した際には是非とも遊びに来てください。」


まだ終わっていませんということだ。


熊野川、色川、また情報が入ったらアップしていきます。読者のみなさんの活動協力、よろしくお願いします。