絆冊子に活動報告…にならないわなあ

夜の11時にひーさんから電話。


「今、石巻なんっすよ。今度絆の活動を記録した冊子をつくることになって、俺の担当が祭りと福島水害と和歌山水害なんすよ。締め切りが明日の朝の7時っす。できたら、和歌山の方は津田さんが書いてもらえますか?」


ということで書き始めたらやたら長くなった。ひーさんから聞いた文字数は600文字である。今から下記の原稿を600字にまとめます。ははは。



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ボランティア支援ベース「絆」とは、阪神大震災を初めとする国内外の被災地に、誰よりも早く駆けつけるコアメンバーを中心とした厳密な枠を持たない人のつながりのことである。参加の条件としては原則、過去に活動したメンバーの紹介に限られる。


活動の特徴としては、徹底した現場主義である。出動は、団体として活動方針を決めた結果メンバーが派遣されるのではなく、行く必要があると判断したメンバーで都合のついた人間が即現場に入り、現場から上がってくる情報によって、順次都合のついたメンバーが都合のつく限り活動をする。


それも、いわゆる「ボランティアセンターに斡旋された作業」ではなく、被災地でダイレクトに被災者につながっていき、もっとも必要とされる支援のうち、活動メンバーが、おのおのが持てる技能・職能・人的ネットワークを活かして支援可能な活動をダイナミックに展開していくところも特徴の一つである。


台風12号による大規模な洪水被害にあった和歌山県南部の支援でも、その特徴はいかんなく発揮された。


二日後の9月6日には、関西発組と石巻発組5名がすでに現地で合流しており、ボランティアセンターが立ち上がる以前の9月7日には、那智勝浦町井関地区で民家の泥かき支援作業を開始している。


並行して、古座川町、新宮、那智勝浦色川地区、熊野川町などを順次調査。現地活動拠点になるアパートの一室が地元の人の好意で提供されており、また串本在住の絆メンバーの奔走によって串本町のご行為で無料宿泊可能となった潮岬青少年の家から移動可能な距離にある活動場所として那智勝浦町中心の活動となった。


理解されている方が少ないので補足するが、和歌山県の水害に関して立ち上がった各町の災害ボランティアセンターというのは、一般家庭から上がってきた「家屋内」の「危険のない」「人力による」「単純作業を」、志願してきたボランティアに対して、「作業時間」「作業内容」「保険加入」などに各種制限・条件を付けて斡旋する機能のことである。


もちろん、そのさまざまな制限は、一般参加のボランティアの安全・健康面を考慮し、またボランティアを必要とする世帯に対して公平な機会を提供するという面からもたらされたものではあるから、その必要性は十分に理解する。


しかし、ボランティアセンターが受け持っているのは、被災者が必要としている支援のうちの限られた一部分の斡旋業務および救援物資の管理・分配また送迎まであるにもかかわらず、「災害ボランティアセンター」という名称が冠されているため、ボランティア活動の全てを統括しているかのような錯覚をもたらしている。


マスコミもそのあたりはよく分かっていないようで、災害直後には報道するけれど、その後の本当に人手が必要な際には報道が激減し(地元マスコミはのぞく)、唯一「閉所」のみ大きく報道するために、災害ボランティアの閉所=ボランティアの必要性終了という実態とは合っていないイメージを打ち出してしまう。


これはひとえに「災害ボランティアセンター」という名称が間違っていると言いたい。名称が実態に合っていない。カタカナを使えばいいってもんじゃない!


私はここで、災害ボランティアセンターという名称を、今後は使わないことを望む。かわりに


「対一般家庭ニーズ対応 家屋内・危険のない・人力による・時間制限つきの単純作業の一般ボランティア斡旋所」


と、ありのままの活動内容をその名称として使ってほしい。


そうすれば、その対象からは庭・工場(小さくてもね)・作業所・学校・商店・事務所・田畑・側溝・道路・河川・海岸などは外れていることが明確になるし、少し危険だったり、技能が必要だったり、道具が必要だったり、車両や重機が必要な作業はじゃあ一体だれがやるの?ということが素直にみなの疑問になるだろう。


工場や商店など経済活動を行っている建物は、基本的に「自分たちでやってね」ということだし、技能が必要なものは「お金出して雇ってね」ということだし、側溝や道路や学校などの「公共の部分」は「管轄する国・県・市町村」がやってくれるのを待ってね、ということなのである。


しかし、行政の機能もダメージを受けていたり、通常業務を遙かに超える発生した問題に対応しきれず、いつまでたってもほったらかしだったりするというのが災害現場の現状なのである。


行政は、「活動内容限定ボランティア」という足かせがついていることにもあまり無自覚なままボランティアセンターに丸投げしているため、被災家屋という個人財産の復旧作業にはノータッチだし、ボランティアセンターの対象業務は「被災一般家庭から上がってきた、危険でない単純作業へ人を斡旋すること」なので、被災現場に出かけて調査したり、作業内容を指示・監督する必要性は出てこない。


しかし、業者に頼むにも財産そのものが失われていて経済的に苦しかったり、高齢者世帯でとても家の人では庭はやれないことがはっきりしていたり、側溝を先に開通させないと、雨天時に雨水があふれてまた泥が家屋内に流れ込む危険性があったりするのが実際の現場である。


そういうすきまからこぼれてしまう部分に対して、絆の活動というのは、積極的に対応していった。していけた。


まず、絆というのが団体のようで実は個人の集まりだというような性格がプラスに働く。絆メンバーとして青少年の家に集まった仲間は、石巻・絆(生活センター組)以外にも、団体で長期活躍しているオンザロードを筆頭に、復興支援協議会からの派遣もあったし、め組など石巻では別団体として活動していたメンバーが、人と人のつながりでどんどん参加してくれた。


「その団体に入らないといけない」という団体の垣根がなく、「紹介は必要だけど、逆に言えば紹介さえあれば歓迎」ということで、身元の確かな?また被災地での活動というのがどういうものなのかということを有る程度わきまえたメンバーがどんどん参加してくれた。何度も何度も。新しい仲間を連れて。


現場で何が必要なのかを知っている人が多い。だから、ダンプもユンボもトラックもローダーも来たし、チェーンソーも丸鋸も来た。マッサージ・整体組も来た。炊き出しに長けた人も長期にわたって確保できていた。本職の使うかき氷器も来た。


地元区長さんに張りついて、現状聞き取りと提案をずっと続けるメンバーもあれば、ボラセンに張りついてアドバイスをしつつ、先頭切ってボラセン業務に入り込んだメンバーもいた。また多くのメンバーが、複数の家にまたがっての現場監督をやった。作業やってる方がよっぽど楽だ〜と言いながら。


そうやって、ボラセンの方針を尊重しつつ、こぼれた部分をできるだけ拾っていけるように活動していった。


とはいうものの、一日の活動メンバーは最大でも40人弱が数回あった程度。(オンザロードはのぞいた人数)20人前後いた時期が長く、少なければひとけただったから、実際に那智勝浦がきれいになっていったのは、数多くの一般ボランティアの汗のおかげですし、それだけの人が集まったのは災害ボランティアセンターがあったからだということは確かです。


内容が、ぜんぜん「絆和歌山水害の活動報告」になっていないので、このあと一から600字書き直しですが、書き出すとやはり「災害ボラセンの活動内容」=「被災者救援活動全般」で・は・な・い!ということは、どうしても書きたくなってしまう筆者です。長文おつきあいありがとうございました。