コリに整体してもらう

毎日毎日人に触れていると、コリというのは「孤立した部分なんだ」という実感がある。


コリ=孤立説である。



話は変わって、立って前屈する柔軟体操。手のひらが余裕で床につく人は、リラックスして取り組めるが、手が宙をさまよう人は、もう無惨なほどに余分な緊張をしている。


だいたい、立って手を床に着ける必要がどこにあるのか。手が届かなければ、膝を曲げればいいだけのことである。実用的な価値がないことに対して、体が対応する機能を備えていないからといって引け目を感じる必要などない。


とは言うものの、学校の体力測定などで柔軟性が採点されるのだから、やはり引け目を感じてるのもしょうがない。


だから、動作目的無しに、ただ曲げるだけという意味不明な苦行を体に強いて、よけいにこわばらせてしまうというサイクルを変えてやれば、身体は変わる。


手の先が宙に浮いているから何していいか分からないのであるから、手先かできれば手のひら全体を床に着けてしまえばいい。それが着かないのが体が硬い人なので、床をかさ上げしてしまう。本を重ねるのがいいです。


で、手のひら全体を床に着ける。上半身は逆さまである。そしてら「体を意味もなく前に曲げる」という回路を「今逆立ちしています」という身体性に切り替える。簡単である手のひらに重みをかければ簡単に作動する。そうやって「下半身は立っているけど、それはこっちに置いといて、上半身は逆立ち中」という体にしてしまう。


そうやって「今何をしたらいいのか」ということを身体に対して明確にしてやると、それまでの意味不明の力みはたちまちに解除されて、今までよりもぐっと曲がり始める。後は重ねた本の数を減らしていけばいい。


というような柔軟性の促進法がある。



前屈中の身体にお仕事がないから、わけもわからずにこわばって前屈のじゃまをしてしまうのである。逆立ちするから協力してね、という条件に身体を放り込めば、たちまちじゃまを解除してしまうのである。



というので、冒頭の「コリ=孤立説」である。


コリというのは、身体の全体性をすこぶる損ねている部分である。まわりと強調してやっていけないので、お仕事がないのである。


では、お仕事をしてもらえばいい。さいわい寝ても覚めてもこり続けられるだけのエネルギーを死蔵している。これを使わない手はない。


というので、受けている人のこっている部分を上手にだまして(?)、こりが主体になって、整体をする側に回るという整体を思いついて試している。それにあれとあれを加えて実施している。


施術する手の負担が激減して、見た目はむちゃくちゃに地味な整体となった。受けている人の変化はもちろん大きい。整体後のこちらの私の身体自体がまためちゃめちゃに整う。いいなあ。


というような身体上のしくみを実感して、じゃあ、被災者自身がボランティアとして活発に動けるようなしくみを上手に整えたら、被災地の復旧や復興は促進するのではないかというような考えが頭をよぎる。