連載11回目 足湯隊と 湊小学校


東日本大震災ボランティアの記録
■進化体操
セミナーとTY




東日本大震災ボランティアの記録 連載11回目


3月30日 足湯隊と活動 湊小学校



(携帯電話で娘に送った文面をアップしてもらったブログに加筆)


朝5時起床。非常に早く目が覚める。なぜか。外気温が氷点下だから。バナナ、インスタントコーヒー、レーズンパンで朝食。


7時、生活センターボランティア・全体ミーティング。


8時、専修大学仮設トイレでうんこ。だって宿舎は水がでないんだもん。


9時、柔道整骨師の小野さんと大学で合流。湊小学校へ。



 小野さんはそのまま小学校に残り、「整骨院」の準備。できしだい開業。津田と採澤はローラー琵琶とレラ杵渕ルートからの要請のあった「個人宅訪問整体」へと向かう。昨日、湊中学校でヒマをもてあましていたところから、いきなり「チーム分割2方面支援活動」まで発展した。これらはすべて、他のチームおよび復興支援協議会という仕組みのお陰だったと書いている今思う。二人で動いていただけだったら一日でこうはならない。


 Oさん。70代。夫婦二人暮らし。旧北上側の堤防が間近で決壊。ご主人はぎっくり腰。奥さんはリウマチとのこと。正確には繊維筋痛症といい、全身に激しい痛みが生じる病気らしい。施術後、何年も杖無しでは立てなかったのが、いきなり二分以上立てるようになった。止めなかったらまだまだ立っていた。


 採澤君担当のご主人も腰が軽快になったとのこと。


 確かに、ものすごいストレスでみな心身ともに弱っている。しかし、その裏側には「被災時の馬鹿力」のような「必死に戻ろう、戻ろうとする力」もふだん以上に働いているのではないかと想像した。事実、私のふだんの施術で、このように重症の方がたった一回の施術でここまで回復するということはめったにない。


 その後、このOさんのところには、メンバーが変わりながら整体ボランティアが通った。表情も動きも見違えるようになった。


 黒沢親分も、このご夫婦のこと初期のことは知っていたらしく


 「津田さん、大橋のたもとのお年寄りの夫婦のところには行った?」と尋ねられたことがある。


何回か行って、ずいぶん元気になりましたよと答えると、親分笑顔で


 「ホント、良かった。初めて見た時さあ、このおばあちゃんもう死ぬんじゃないかと思うぐらい弱ってたから」


 もちろん、こういった支援の網から漏れている人の方が多いだろう。だけど、一度このセーフティーネットにかかったら、色んな人が忘れないで心配しているんだ。だから寄せ集めの集団なのに、何とかなっちゃうんだ。



 続いてAさん。石巻駅西側。床下浸水。電気、水とも復旧。ただし、娘一家4人大街道地区で家を失いこの家へ。肺気腫のお兄さんも同居。さらに避難所で一緒になった両親が行方不明の高校生を引き取って同居。ご主人は震災以前に強度の頭の打撲から首の異常を引き起こし、さらに足が不自由。病院へ定期的にいく必要があるが、もうガソリンの予備はほとんどないという状況。


 ご夫婦を整体の後、(お兄さんはこの時は不在)、車に積んでいる携行缶からガソリンをとりあえず5リットルだけ補給。


 1時、湊小学校へ帰る。


 自衛隊給水車が活動していたので、写真を撮らせてもらう。ホントに自衛隊の隊員のみなさんは、任務とはいえ、それを超えた心で活動されている。手探りで迷走しているわが整体チームの何十倍もお役にたっている方々。できれば隊員のご家族の方に見てほしいと思って撮影する。あなたの夫・息子・お父さんは、こんなふうに、黙々と被災地で活躍されていますよ。でもとってもとっても喜ばれていますよと。


 できれば写真を送りたいと思って部隊名をお聞きする。(まだ送れてないけれど)と「ごとくたい」とか「にとくたい」とかよくわからないことを言う。駐車中の自衛隊の車の表示を何台も確認して、どうやら「第五旅団特化二中隊」の方々と判明。帯広の隊だと言われていたかな。


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■進化体操


英会話風言語方式で、予想外の人が予想以上の変化を見せてくれます。ちょっと、かなり可能性を感じさせるアプローチです。


セミナーとTY


 ○4月15日TY研究・講習会(1時〜5時)


   まだまだ参加大丈夫です。


 ○4月29日30日の総合セミナー

申し込み予約が、定員の半分を越えました。異例の早さです。人数が1名を越えそうなら会場を大きいところに変更しないといけないので、ご希望の方はお早めにご予約下さい。

詳しくは

http://tsuda-seitai.petit.cc/

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