連載10回目
■東日本大震災ボランティアの記録
■進化体操
■セミナーとTY
■東日本大震災ボランティアの記録 連載10回目
坂を上がりきった。いきなり、そこから海岸線までの数百メートルに理解不能な巨大な巨大な(こんな安っぽい言葉は使いたくないけれど)地獄絵図がパノラマで広がっていた。
壊滅した女川港周辺だった。
この「壊滅」という言葉も、新聞の見出しに多用されていた単語で、被災地入りする前は、安易にこんな言葉使うなよと思っていたのである。だけど、現場をみたら「壊滅」という言葉以外は使えないかもしれない。
鉄筋コンクリートの以外の建物はすべてない。木造の家でそこにとどまっている家はほぼ皆無。ひん曲がった鉄筋だけを残して、もとの建物の外観が想像できないものも多い。4階建てのビルの屋上に車が乗っている。同じく4階建てぐらいのビルが、そのビルの形のまま横向けに転がっている。
左側に高台に上がる道があったので上がる。女川町立病院である。街並(本来であれば。今はがれき帯)を見下ろすその高台の駐車場は高さが15メートルはある。そこからゆるやかな上りで病院の一階ロビーへと続くのだけれども、よく見るとその一階の壁や窓に津波の線が入っている。病院の裏口の外では泥をかぶったコピー機やカルテ類を整理している人がいる。
分かりますか?4階建てのビルの屋上を浅い角度ながら「見下ろす」高台の駐車場の、さらに上に立っている建物の一階が津波に襲われているのである。
もうしゃべれない。採澤君もしゃべれない。呆然とするだけ。裏手に回る。女川の街に岬のように突き出た病院のある高台の逆側、病院の裏手からの町並みを見てみる。同じ。さらに広い面積が「壊滅」している情景が広がる。
「まず見てくれ」
阿部さんの言われてたことは、これだったのか。これが東北沿岸にずっと広がる景色なのか。
ずっど〜んと落ち込みながら、チョコレートの「ダース」があったので、採澤君とむさぼり食いながら大学へと帰る。
7時にいつもの全体連絡会・復興支援協議会だ。
「被災者のために歌を歌いたい」というおじさんがいたり、足湯の大部隊が来ていたりする。この連絡会の目的として、同じような活動がだぶらないようにするための情報交換・情報共有がある。全体で通達事項を行い、新しく参加の団体や個人の紹介などをした後は、活動内容が似たようなグループに分かれる。これを「分科会」と称していた。
整体があり、足湯があり、歌を歌いたい人がある、ということで、座長の伊藤さんが「んじゃ新しく分科会作るべ。そっこは『リラクゼーション&エンタテーメントね』」とさっさと決めてしまった。
新メンバーも生まれる。地元出身の柔道整復師の小野さん。故郷の危機に急遽里帰りをしてきた方だ。島の名前は覚えていないが沿岸部の島に住むご両親は幸いご無事。では一緒にやりましょうと合流。
日本財団が募集した「足湯隊」のみなさんと情報交換。明日から湊小学校でやりますとのことだったので、くっついていかせてもらうことにする。
さらに、個人宅をローラー作戦している琵琶さん(実は関東のたこ焼き屋さん)が見つけてきた、石巻大橋のたもとのOさんの情報が、移送チーム「HOP」さん(札幌の障害者支援団体らしい)経由で入ってくる。ひらたく言えば「体が大変そうだから、整体チームさん行ってあげて」という情報である。
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■進化体操
英会話風言語方式で、予想外の人が予想以上の変化を見せてくれます。ちょっと、かなり可能性を感じさせるアプローチです。
■セミナーとTY
○4月15日TY研究・講習会(1時〜5時)
まだまだ参加大丈夫です。
○4月29日30日の総合セミナー
申し込み予約が、定員の半分を越えました。異例の早さです。人数が1名を越えそうなら会場を大きいところに変更しないといけないので、ご希望の方はお早めにご予約下さい。
詳しくは
トップページのおしらせ記事を下にたどって3月22日のお知らせにあります