2011年4月1日 湊小学校3日目

4月1日 湊小学校三日目


(ブログより一部加筆)
 朝一番で市の北部の「ビッグバン」という避難所の状況を見に行く。ここは、特に規模の大きい避難所で500人以上の方が避難されていると聞いた。新しいスポーツアリーナがあり、医療機能を常駐させたきれいな施設だ。このあたりの地域まで来ると水も電気も来ている。


10時30分に湊小学校に戻って、日本財団足湯隊と合流。
足湯隊との連携も日を追って(ってまだ三日目だけど)良くなっていく。足湯隊が各教室を回りながら、整体の予約もとってくれるのである。「この方は何時でもいい人。この方は何時から何時までの間を希望している人」「避難場所は○年○組の教室」などと書かれたメモを渡され、その「予約表」に従って教室を順に回ればいいだけなのである。活動初日を考えれば天国なのである。送迎付の重役になった気分だ。


午後からは国際武道大学のボクシング部の青木コーチも合流。(たかこちゃんが通り名となった)一緒に教室を回って現場デビュー。人数が増えたおかげで、予約を聞いていた人には一通り施術ができ3時過ぎに終了。教室避難所整体終了後には、これまた足湯を終わられた足湯隊のみなさんに整体をさせていただいて、予約受付サービスのささやかなお礼とした。


実はその日のお昼休み。校庭を前から歩いてくる白髪だけどエネルギッシュなカメラマンらしき人を見てびっくり。おお、週刊文春に発表されることが多いが、世界各地の戦場・紛争・あらゆる修羅場にことごとく駆けつけ写真に収める、津田的には「この人の方が渡部陽一さんよりもよほど戦場カメラマン」の宮嶋茂樹さんではないか。(渡部陽一さんは、「戦場の子どもの笑顔」カメラマンだ)


この人の本は「ああ堂々の自衛隊」以下10冊以上は読んでいるのである。気取らない猥雑?なナマの体験は、きれい事を書かない分、より深奥に迫ってくる。


お声をおかけして、原発爆発の直後、放射能から命からがら逃げた話(出発前に読んだ文春で読んだ記事)のナマ話をお聞きして記念撮影。この時ばかりはミーハーな筆者であった。


4月末に第一次遠征を終えて帰宅したら、ちょうどこの湊小学校での出会と前後した宮嶋さんの取材した写真と文章が、週刊文春のグラビアに掲載されていた。


くまなく被災地を回られた宮嶋さんは、この震災の被害規模を日本中・世界中で取材したどの戦場・惨状よりもひどいと記されていた。(明石出身の宮嶋さんは、阪神大震災ももちろん神戸の激震地区に入って、その惨状を目の当たりにしている)そして、この惨状の中で、カメラマンになったことを初めて強烈に後悔したと書かれている。被災地のために、被災者のために、自分というカメラマン・写真は何の役にもたっていないと、感じたままを正直に吐露している。でも、その思いがある人にこそ、被災地の写真を撮ってもらいたいなと思う筆者であった。
 

 ※註 2012年紀伊半島台風大水害の那智勝浦の現場でもお会いした。  



夕方には、再び市の北部へ向かい、現状の聞き取り調査。ビッグバンの近隣の飯野川中学校体育館避難所を調査。保健婦さん、学校の保健の先生から 整体をするとしても、ニーズが多すぎて殺到したり不公平感があったり、本当にニーズの高い人が受けられないような状況にどう対応するかということを検討する必要あるのではないかという意見を頂く。


この避難所には三地区の方々が入っているので、各地区でとりまとめてもらおうと思うとうことだった。



この日、明確に今後長期間に渡って、マッサージや柔道整骨や鍼灸の人や整体の人がたくさん東北に来られて、被災された方に対して活動できるようなしくみを何と作っていく活動を始めようと思いが定まる。


避難所での整体・マッサージボランティアの活動も、別の団体や別の部隊のご協力によって軌道に乗ってきたのである。整体はほんとうにこの現場でお役に立っている。この整体を深めてきて良かった。これは同じ整体を学ぶ採澤君も感じていただろうと思う。


 「整体?私はいらない」と言っていた人が、家族の「受けてみなさい、全然違うから」の勧めで気乗りしないまま受けて「わ〜、全然違う、楽だ、楽だ」と連発されたり、避難所で受けながら涙を流して感謝されたり、個人宅訪問でもさっきまで歩けなかった人が、杖をついて玄関まで追ってきて涙を流しながら深々と正座で頭を下げられたこともあった。


すばらしい充実感に包まれたと思われるだろうか。現実は違うのである。お役に立つ実感があるほど、圧倒的に不足していることが山のように迫ってくるのである。無力感に絶望する気分さえ出てくるのである。


今日行ったビックバンだけで700人。4人で行って、一人20分ぐらいの短い時間に切りつめて5時間連続で休みなしで一人15人やったとしても、60人。少なくても60人やれたとも言えるけれども、実は何十人か何百人かの「受けたかったのに受けられなかった」人を生みだしているとも言えるのである。


自分が学んでいる整体が、こういう現場では特に有効だという自負はある。あるけれども、足湯でも足つぼでもアロマでもふつうのマッサージでも鍼灸でもいいのである。それは被災された方にとって、満足感と効果さえあれば、そのための選択肢は多いほどいいのである。そして「ああ楽になった」「軽くなった」「疲れが取れた」「ぐっすり眠れた」という人が増えるなら、整体でなくっても何でもいいのである。それぐらい大変な現場なのである。技術的・嗜好的な過不足があれば、お互いに補いあえばいいのである。


自分たちだけで動いても、どうにもならん、この現場。日本中の同業者・似た仕事の方、助けに来てくれ。とりあえず、そういうことをブログやネットで発信だ。とりあえず、ボランティアセンターに来る人に心得のある人がもっといるはずだ。毎朝、受付でリクルートすることにしてみよう。



NPO連絡会議。今日は新たに京都から来たスポーツトレーナー松山さんが参加。プロ野球選手から高校野球から少年野球など、野球を通して動きの改善をはかるプロである。これでメンバーは5名となった。