竜巻関連


つくばの被災地でのボランティア活動と思った方は

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【連載 ボランティア体験記】


社協職員の方の先導で分団詰め所へ。11時には上がってくる予定のはずがしばらく待つ。その間に3人ほどの女性が、昼食とおぼしき食料を持って詰め所内に運んでいるのでもうじきだろう。しばらくすると消防団服に身を固めた男たちが10人弱帰ってきた。


 分団の長とおぼしき男性に、我々が何者かを説明する。分団長、横目でじろっとにらむと「ふん、そうかい、勝手にしな」というような感触である。(誤解かもしれない)


 詰め所の中は食事をするのであまり場所を取れない。やむなく詰め所の外、屋外のポンプ車とポンプ車の間に銀マットを敷いて整体、渡部さんは鍼をする。


まあ、今までこれほど態度の悪いクライアントは初めてである(笑)。重装備の靴がすぐには脱げないから靴は履いたまま。渡部さんが担当した金髪のあんちゃんは、なんとくわえたばこのままで鍼を打ってもらっている。


 しかし、この人たちは今の今まで重機ですこしずつがれきをどかしながら遺体を捜索していた人たちだ。問わず語りに口からでる会話、


「遺体捜索の最初の何日かは、ものすごくリアルな夢を見た。見つけた遺体がそのまんま出てくるんだ」


「遺体も、最初の一週間は人のまんまだったべ」


一週間以後は、さらに崩れたり腐敗し始めて原型から離れていくということでもある。


 消防団といっても公務員ではない。みんなただの地元の若い衆だ。震災後もう一ヶ月になるというのに、こうやって毎日遺体捜索に出ている。つい一ヶ月前まで言葉を交わし合ったあっちのじいさん、こっちのおばちゃんのだ。


 ある種のハイテンションな状態にでも持っていかないと、とても毎日やってられることではないだろう。整体や鍼を受けている間に、史上まれにみる態度の悪さだったのが、どんどん気持ちのいい若者に戻っていく。


「鍼してもらったんだげど、整体もやってもらってもいいかなあ。こす(腰)がいだくで(痛くて)」


 最初は「こいつら何もんだ」とにらみつけるように見ていた(と勝手にこちらが感じていた)分団長も、一通りの整体を見ていて(やっぱり怖い顔だったけど、地顔がそうだったみたいだ)若い衆をありがとうと思われたのか、最後には言葉少なく


「(詰め所に)入れ」


「まだ飯食ってねえんだろ、これ食え、あれ食え。おにぎりも食え」


と食事を勧めてくれた。


 任務を終えた団員達が三々五々、お疲れ様と帰って行く。分団長は、詰め所前のバーベキューコンロにがれきの薪をくべ、火を絶やさないようにしている。後で職員の方に聞いたが、この方も奥さんを津波で亡くされているそうだ。


 市役所機能を代行させている「給食センター」へ向かう。掲示板に「希望の松」の写真が紹介されていた。陸前高田の海岸線は7万本だかの松林が植わっていて「高田の松原」として有名だったという。しかしその松原も津波によって壊滅した。と思われていたところに、唯一一本だけ松が残ったというのだ。「希望の松」と名付け、高田復興のシンボルにということらしい。


 さらに地元の方にお話を聞くと、希望の松というのは対外的な名称で、地元の人は「根性松」と言っているそうだ。こっちの方が好きかな、個人的には。


 駆け足の視察兼活動の二日間であった。移動の時間が長く、滞在時間は少なく、駆け足で通り過ぎただけの感もなきにしもあらずだけれど、でもやっぱり見て、感じてよかったと思う。そろそろ帰らないと今日中に石巻に帰れない。


 東北自動車に乗るために一関へ。内陸部のここは地震津波も何の関係もないような日常だ。ここで現地入りして二回目の入浴。スーパーで衣類などを買い足した後、焼き肉屋へ向かう。


 やはり悲惨な現場を繰り返し見た反動というようなものはある。現場の悲しみなんてものをもろに受け止めたら心身がもたない。ゆえに移動中の車内では不謹慎の極みとなり、あっけらかんの極地となる。この「ここは一発焼き肉じゃ〜」も、精神の健全性を保つための自衛行為かもしれない。野獣のように肉と野菜にむさぼりつく三人の男達であった。


 腹がいっぱいになると動きたくなくなる。もうこれから石巻まで帰る気力が消滅した三人は、一関でホテルを探した。しかし、どこもかしこも満室。というのは沿岸部の宿泊施設が軒並みやられているので、宿を取れる近間の都市というのがここになるからだ。


 あるホテルは「国土交通省の貸し切りです」と言われた。しかし窓を見ると電気が点いている部屋はごく少数しかない。もしかしたら、道路など工事関係者の方々はお疲れですでにお休みだったのかもしれないが(でもまだ9時過ぎだけど)片や税金でホテル貸し切り空き部屋いっぱいで、こちとら自腹で活動しつつ昨日はおみやげ屋さんの駐車場で野宿。無性に腹が立って国土交通省が嫌いになった筆者である。


 高速道路の出入り口には「そうだ!ラブホテルが付きものだ。ラブホを探そう!」と一関インターの周りをうろつくが、一つのネオンも見つからない。ああなんと健全な岩手県と悪態をつきながら、やむなく高速へ。採澤君と「くたびれたらすぐに運転は交代」ということにして東北自動車道路で石巻に向かうことにする。


 走ること二時間。筆者が助手席でうとうととしていたら、携帯電話の緊急地震速報がったらしい。目を覚まして「最大余震震度6」を、時速80キロの高速道路で体験する。ハンドルをちゃんと握っているのに、あれよあれよと反対車線の流される採澤ドライバーであった。多数の車がもしいたら玉突き衝突多重事故は避けられない揺れの影響だった。


 びびりながらのろのろ運転で近間のサービスエリアに逃げ込む。
 備えあれば憂いなしというが、その時の車には支援物資こそおろしたものの、食料、飲料水、予備ガソリン、ラジオ、ライト、七輪に木炭まで完全武装だったので、余裕で時間待ち。結局道路封鎖になる前に仙台まで走り、夜明け前の下道を石巻へ。



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【お知らせ】

5月13日1時〜5時

東日本大震災ボランティア支援チャリティ講習会

「皮下チューニング」


新大阪健康道場にて、カンパ制。収益はすべてボランティア活動をしている仲間の支援費用にさせていただきます。