竜巻ボラ オープンジャパンでの募集終了補足/連載23回

5月13日を持ちまして、オープンジャパンでのボランティアの受け入れを終了させていただきます。


5月14日以降ボランティア参加希望の方々は つくばボランティアセンターにお問い合わせください。


というオープンジャパンのブログ内容を転載しましたが、補足を少々。


即時が撤退撤収、解散というわけではありません。トムはとりあえず月末まで滞在するらしいです。


ここ数日は実際にメンバーもいるし、活動もしているそうです。今日明日で、つくば大の3.11をきっかけに活動をはじめた学生組織だとか、地元商店会の方々と具体的な打ち合わせをして、機能を移管していくそうです。


だから、過去活動経験のあるメンバーが、知人などと一緒に明日明後日などに現地で活動しようというのには、支障はない状況だそうです。


以上、補足でした。

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那智勝浦でもご一緒した、鉄道写真家の広田泉さんのブログに、つくばで合流しての活動の模様が写真入りでアップされています。


つくば再訪


よい子の道ボランティアベースに参加してきました。
いわゆるボランティアセンターをベースとしたものとは違い
有志で結成された集団です。


▲活動テントを張るために借りた場所が小学校のすぐ下。その道の名称からつけられた名前。


オープンジャパン(旧石巻ボランティアベース絆)が軸にはなってるけれど、これは今回だけの
いわば期間限定・地域限定のプロジェクト。


東北の沿岸や会津和歌山県那智勝浦などで活動して知り合った仲間が、ここに集まったわけです。
ツイッターやface bookなどを使っている人がほとんどいないのも不思議で特徴的なところ。


携帯で連絡をとるわけでもなく皆の思いが同じだから自然に集まってしまうんですね。
文明の利器を使わないから鼻がきくのかもしれません。


続きと写真は広田さんのブログで!


http://tetsudoshashin01.blog17.fc2.com/




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■■東日本大震災ボランティア活動記録
   「本職でボランティア」  ■■■

         連載23回目


4月10日 一日三方面に展開するようになる
 

今日は整体師・理学療法士・マッサージ・美容師・大工計15名で4チーム編成3方面へ。


牡鹿半島先端部付近 清友館 整体・マッサージ20名 カット8名


雄勝地区 大須小学校 整体・マッサージ29名


市内市街部 石巻高校 整体・マッサージ15名


同じく大街道小学校 55名 


合計体のケア119名 ヘアカット8名 総計127名



高木さんと後藤棟梁は、昨日の雄勝の明神児童遊園へトイレ作りに。明神の上の方に住んでいるお年寄りが、明神までトイレに借りに来るのが大変だというので、移動式仮設トイレを作る。これはまず長い溝を掘って、その上に軽いトイレを作る。トイレの下に汚物がたまったらトイレそのものを横に移動して、汚物には土をかけてしまう。年月がたつと最初の汚物は土に返るというしろもの。



4月11日 


計画的な避難所訪問なんかまだまだできない


ずいぶんとメンバーが増えた。ボランティア受付に「整体・マッサージの心得のある方・活動希望の方はご連絡下さい」と貼っておいたら、けっこう連絡が入ってくるようになった。電話番号を控えて、地元に帰って友人の整体師に伝え、その人から問い合わせがくるというようなうれしい事態にもなっている。


チームが続いていけそうな要素がどんどん増えてきている。


この当時の行き先の決め方というのは、極端な話行き当たりばったりである。市内の日帰り温泉のマッサージルームの店長だった今野さん(温泉が被災して廃業が決まったため連日チームに参加されていた)が参加されるようになってからは、市街部は今野さんに一チーム自由に動いてもらって、ニーズの高いところに飛び込みで整体というような感じのチームも作っている。


それ以外は、め組(NPOメイク・ザ・ヘブン)のローラー隊(個別訪問ニーズ聞き取り部隊)が「どこそこが疲れている」とか「どこの避難所が来てほしいと言っていた」とかいう情報をあげてくれたら「行ってみよう」とか、情報があったらとりあえず動いてみる。他の団体からの情報のおかげで行き先が見つかることもけっこう多いのである。


立ち上げのころは、全員で一カ所に行ったのだけれど、10人を超えて3つも4つもチームができるので、あまり話しをしたことのないメンバーもいれば、名前だけで行ったことのない避難所も増えてきた。そこで今日はあえて活動に出かけずに、「避難所データ記入用紙」および「活動メンバー滞在日程一覧表」などを作ることにした。


市街部と遠方に用紙を分け、避難所位置の略図に、住所、移動時間、交通の条件(崖崩れ・仮設道路・朝晩渋滞など)さらに代表者の名前と連絡先、特記事項などを書き込んでもらう用紙だ。


たとえば、ある避難所は午後の2時半から自衛隊の「お風呂に連れて行きますバス」が来るので、その時間に行っても人が少ないとか、午前中から昼過ぎまではみんながれきの片付けに行くから午後からじゃないと活動にならないとか、逆に月曜日に地元の整体師が毎週来ているから、ここは対象からはずしていいよというような情報をストックしていこうという作戦だ。


顔なじみになった社会福祉協議会の事務所の「共用机」をお借りして、手書きでしこしこと事務作業をする。


事務所でせっせと事務仕事に精を出していると、テレビカメラが入ってきた。私には関係ないのでそのまま机に向かっていると嵐の桜井君が続いて入ってきた。日本テレビ系の「ZERO」の収録だった。佐藤課長がいつもどおりの穏和な感じで「この電話でボランティアの問い合わせに応対して」とか「みなさん、テント生活でがんばって下さっています」とか案内している。「いかにもそれらしい」な質問に丁寧に佐藤課長が応対していると、桜井君の目の前に座っていた県外応援組だと思われる女性職員が、インタビュー中にもかかわらず突然立ち上がって「握手してください」と手を出した。


桜井君、あわてず騒がず応えておりました。収録は台無しだが(ははは)これでこの職員の疲れが吹っ飛び、電話対応が柔らかくなり、まわりに愛想が良くなり、業務がはかどれば桜井君も浮かばれよう。


直後の喫煙所での、休憩中の社協職員のみなさまの会話。


「さっきZEROの収録あったべ」


「んでも、局長が、案外ミーハーだっちゅうことがわかったべ」


「○○がテレビで来た時は、局長叱りつけとったべ」


「今日はなごやかに対応しどったなぁ」


○○さんというのは、ニュース解説で人気のあの人のようだが、どうも現場を知らない上から目線の的はずれな意見でも開陳したようだった。


後姿ぐらいは映っているかもしれないよと自宅にメールすると「桜井君と会ったの?ミーハーにうらやましい」と家内から返事が来た。後日娘に確認すると、万一ここで桜井君の写メールを撮影して娘に転送した場合にお父さん株およびお父さんの活動支持率はうなぎ登りの上昇だったらしい。残念。迷った時はやはり実行するべきだった。桜井写メール。



この日からNPO連絡会議は3階のホールではなく、一回の西側のNPO部屋になった。最大余震の影響で上の照明などが破損して、万一落下するなどの危険があるからという理由だった。



【本日の活動】 市街部避難所・河南町・北上地区・女川町 4方面隊 
        12避難所で活動 対象者約100名