森の集い/連載 第26回

森の集いに行くと、六甲白馬堂の浅やん出店の青空カフェ兼、アウトドア関連兼、東北・石巻支援グッズなどならんでおりました。


先日の「有人が来たからせっかくだから飲んだり話したり大阪の会」の時に一緒になった方々とも多数再会。



東北支援ブースもちゃんとあって、オープンジャパンの報告書もがしっと鎮座。


本日の午後の催しの一つとして、いろいろな立場の方々が和になって「3.11」を語りました。


どちらかと言えば、被災地でも現地・現場系(泥出し・重機などの作業系、炊き出し系、避難所など回って整体など系)の方々とは大勢お知り合いになりましたが、この催しの方々はどちらかと言えば後方支援系の方々。




ゆるーく進行する出口っちゃん。


出口っちゃんが関わっているとは聞いていたけれど、中心になっていたとは知りませんで失礼しました。



4月の石巻で協議会管轄の団体のものだけで一万食を超える炊き出しが連日行われていて、どうしてそういうことが可能なんだろうかなあと思っていたけれど、こういう方々の熱い気持ちが後ろで支えていたんだなあと感動。


農家でも自然農やっている方、過疎地のIターンを促進している方、八百屋さんにパン屋さんに、その野菜を現地に運んだ浅やんのような立場の人に、さらには福島から大阪へ避難されてきて、これから事務所を構えて福島支援への窓口のようなことができないかと活動している方などいろいろ。


私も「公は個人には手を出せない被災地の限界」とか「前向きの不公平を積極的に作ったらいいやんか」などのこの1年で感じたことをお話させていただく。


熱い人たちだからこういう集まりなどを実行してしまうのだけれど、話そのものはあくまでも穏やかでなごやか。


無用にヒートアップしないみなさまです。地に足が着いているというよりも、足を土に突っ込んでいる方々だからか。いいご縁を頂きました。



「森の集い」は、今度は秋には和田山で行われます。


http://morinotsudoi.org/



ところで、森の集いのチラシのイラスト。もののけ姫のシシ神さまのような雰囲気の一筆書きのイノシシのイラスト。


不思議なタッチな絵やなあーととっても印象に残っていたのですが、浅やんが


「針金細工のブース見た?」


と連れて行ってくれました。


あれは、一筆書きではなくって、一本の針金だったのでした。感動です。


升田学 

http://a-t-n.jp/


・・・・・・・・・・・・・・

■■東日本大震災ボランティア記録■■


「本業でボランティア」



4月15日 コミュニティが生きている避難所 


本日も南三陸へ。やや出遅れて11時前の到着。


 いつものように、ボランティア受付に行き、団体受付の書類を書こうとしていたら、連日の活動で顔なじみになった受付スタッフが引きつった顔をしている。詳細は不明だけれど、ある避難所に今日の10時から美容師のボランティアが二人行くことになっていた。先方もそれをとても楽しみにしていて、地域のおばあちゃんが10時前から何人もお待ちなんだそうだ。ところが急にそのボランティアが来れなくなったらしく、避難所からはまだかまだかと言われて、間に入った受付スタッフが困り切っているのである。



 「おはようございます、事情はわかりました。今日は美容師が同乗してますので、そっちに行きますわ。美容師は一人だけですけど」


「え〜、ホントですか、ありがとうございます。(嬉しくて)泣きそうです」(ホントに目がうるうるしていた)


ということで、ベイサイドアリーナに続く国道45号線を、気仙沼方面に12キロほど北上した港会館という避難所に美容師まいちゃんを乗せて向かう。南三陸町の北限に近く、もう少し走れば気仙沼市に入るというあたりだ。


途中の道中も、浜に降りれば壊滅。少し上がって泥出し、使えない家具出し家という風景が続く。


道路に「港会館避難所」という看板を出してくれていたのですぐに分かる。


さほど大きくない地区会館。庭では「JAF」のロゴ入りウインドブレーカーの一隊が炊き出しをしている。入り口横には「運動会テント」を張り、本部席?という感じで数人の方が座っている。


中に入ると、入り口横の小部屋を美容室にするとのこと。ボランティア受付で聞いた話は嘘ではなく、高齢の女性たちが「10時から待ってた」「朝から待ってた」と口々に言うのである。


左手が大広間。そこが寝る部屋なのだけれど、今まで見た避難所とは少々違っていた。まず、大広間が大広間として機能している。ふとんや手荷物はすべてたたまれまとめられて壁際に片づいている。広間の部分には長机がきれいに並んでいて、たぶん昼食が終わって片づけも終わったのだろう。いずれにしても、ふとんでごろごろしているという今までの大規模避難所の風景とは違うのである。


壁に張り紙が



 6時半 ラジオ体操
 7時  朝食
 8時  全体ミーティング 
12時  昼食
 5時  夕食

 (時間・順序は不確か。およそこんな感じ)



 清潔で、よどんだ感じが無く、きちんとしている雰囲気なのである。今まであまり小規模な避難所には行っていなかったけれど、(雄勝地区の「明神児童遊園」ぐらい)、大きいところとは全然違う面があることを知った。もともと小さな集落で共同作業なども日常的にあったのだろう。でも、ここは特に気持ちがいい。


「夕ご飯がいらないときは、ちゃんと言っておいてもらわないと困りますからね」なんて女性に注意されて言い訳している男性がいたりするのである。


 「美容室」が手狭なので、大広間の方で整体を始める。ざっと10人以上の方が希望されている。時計をストップウォッチにして、一人15分見当で開始。


12人としても連続で3時間はかかる。


 くり返し書くけれど、「災害時のばか力」はある。ふだんでは変化しない速さで症状が変化し、苦痛が軽減されていく。膝と腰が痛いという高齢の男性が


「軽いべ、軽いべ、走れるべ」


と言って、大広間を走り回る。確かに腕とリズムは「走り」なのだけど、歩幅は歩き。でもとっても嬉しそうにくり返し「走れるべ」とやっている。楽になった人を見て、近隣の無事なお宅のお年寄りも呼んでこられる。ほぼ休みなしで結局3時過ぎまでで16名を施術する。


 気持ちのいい避難所だなあと感じたと書いたが、整体中も向こうの机で、せっせと避難所の看板を作っている女性がいる。決して誰かに言われたからというのではなく、今の看板が小さいからもっと大きな方がいい、両面から見えるのがいいと自発的に作っているのである。


 美容師まいちゃんの方はまだまだ終わらない。今日ベイサイドアリーナには、軽トラと津田の車の二台でめいっぱい乗って来ているので、この車が行かないとベイサイド組が帰れない。4月後半から一ヶ月長期間リーダーを勤めることになる「タイマッサージ」のナベちゃん、渡部君に交代で港会館に向かってもらう。結局この日まいちゃんは9人の方の髪を切ったところで時間切れ。



【本日の活動】南三陸方面
 
 ベイサイドアリーナ 整体・タイマッサージなど 30名
           ヘアーカット       10名
 港会館       整体           16名
           ヘアーカット        9名
石巻市内       整体など         多数不明
           ヘアーカット       19名

この日から超・長期間活動をすることになる美容師わたる君のデビュー戦。一日19人切りの伝説を作る。