ボラセンは現場主義で

和歌山市は何ともなかったのだけれど、大阪各地でまた水害が…


トッピーさんは、さっそく出動されたようで、ファイスブックから引用させてもらいますと


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今帰ってきました。

寝屋川市から帰ってきましたよ! 長靴・カッパのいつものユニフォーム着用で平スコップ・高圧洗浄器等々機材持参で友人の家の泥出し応援してきました。 

結構酷い状態です。車が近くまで入れませんでした。 3年前の美作と同じです。 う〜ん、宇治市はもっと酷いですね! 京滋バイパスの東宇治のトンネルでは車が水没状態との事です。 


先程電話で宇治市災害ボランティアセンターと電話で会話しました。


いつもと同じでニーズ確認中との事(遅い!!)。


枚方市寝屋川市も考慮が必要ですね!
これからは那智勝浦も心配ですが・・・・・こんなに近くに出動になるとは!!

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とのことです。


大規模な災害のたびに、地元の社会福祉協議会が受け皿になって、ボランティアセンターが開設されます。さらに大規模になると、県レベル、さらに大規模になると近畿レベル、東北なんかは全国レベルでスタッフの応援を受けます。


この仕組みはあった方がいいか、ない方がいいかと言えば、絶対にあった方がいいです。


社会福祉協議会は、素人の私などは行政の方々だと思っておりましたが、現実には社会福祉法人であって、スタッフの方々は「私たちは民間です」とのことでしした。


おそらく、ふだんボランティア活動などとかかわることが多いので、ボラセン担当になるのでしょうが、福祉や平時のボランティアにはなじんでいても、災害救援という意味では、経験がある方の方が少ないです。


上のとっぴーさんの一文にもありますが、あらかじめ対応できる作業や対象を決めた上で、ニーズに対応するというルールで動いています。


たとえば、石巻のボランティアセンターを考えると、牡鹿半島だって実は石巻市です。市街部で何百人もの一般ボランティアが泥かきをしている時、牡鹿半島では、そもそも目の届く範囲でボランティア活動を見ていないものだから、ニーズなんて上がってこない。上がってきたとしても、被災当初なら、牡鹿まで送り込む体制はなかったから無理でしょうけど。


那智勝浦町だって、那智谷に本格的に一般ボランティアが入るまで20日前後もかかりました。


ボラセンの人が、受付業務に忙殺?されていたからです。現場を見ていないからです。現場に入っていないからです。どういう作業が必要とされていて、どれほど困ってらっしゃるのか、目の当たりにしていないからです。


那智でも、那智谷の井関の現地サテライトを立てて、機能し始めて、現場に入り始めたボラセンの方々とは、どんどん意思の疎通ができ、相互理解が進み、協力体制が進みました。


ボランティアセンターができると、実はボランティアセンターから派遣可能で、夕方までにお片付けができあげるという時間の制約で可能なところだけに派遣が限定されてしまうのです。


だから、広範囲な現場の場合は、現地サテライトのようなもので、分散受付をしないと、手の入らない地域はずっと入らないのです。


ボランティアが入らない地域では、ボランティアが来るなんておじいちゃん、おばあちゃんたちは想像もできないので、道具もない中で、被災1週間後、10日後におばあちゃん1人で手で泥をすくっていたりするんです。


と言う話は、16日から22日まで、福島の被災家族や子どもたちを和歌山の夏の大自然の中で戸外でおもいっきり遊んで楽しんでもらおうと、にんにこ和歌山が企画したサマーキャンプの準備に忙殺されているふーちゃんとうっきーさんが、今日忙しい合間に整体を受けに来られた時に、阿蘇に行ってきたうっきーさんから聞きました。


それで、上がってきたニーズが残り少なくなってきたから、ボラセンは閉鎖しますとか、個人ボランティアは受付終了しますというような事態になるのです。


これも、行政が被災家庭を直接助けるという一番大事な部分の作業はボランティアに丸投げ、運営はボラセンに丸投げという図式から、どこの地域でも大なり小なり陥ってしまっているようです。


なんせ、社会福祉協議会だってもともとの業務があったわけですから、それを永遠にストップすることはできません。だからある程度の時期でボラセン縮小とか閉鎖というのはやむを得ないことではあろうと思います。


ただし、ボラセンの方も、行政の方も被災現場をほとんど見ないで、それら終結手続きが進んでいってしまうことは、とても歯がゆいのです。


だから、これからのボラセンが必要な規模の災害が起きた時、ボラセンのそこそこ偉い方が、とにかく現場を広く見て回りまくってほしいのです。そして、行政の方でもそこそこ偉い人が、一緒に現場を広く見て、実際の活動現場や被災状況、一軒の家を片付けるのに、どれだけの人手がいるのか、時間がかかるのか、肌で知っていくことが必要不可欠だと思うのです。


那智勝浦の水害の時、阪神大震災の経験がある兵庫県社協の方が、応援スタッフが大挙那智勝浦入りした時に、ボラセンになし崩しに入れないで、徒歩で数キロの市野々の奥まで、もっとも被害の大きい地域を歩いて見て回らせていました。


「被害現場も知らないで、何がボラセンやねん」ということでしょう。


現場から考えましょう。何事も。自戒も込めて。