紀伊半島の水害から1年

一年前の今日に降り出した雨が、日をまたいで豪雨となり、多数の地域が壊滅的な被害を受けた紀伊半島一帯の水害から一年。昨日は新宮市で追悼式?慰霊祭が行われ、活動した那智勝浦では明日の1時半から行われるとのこと。


ちゃんと確認しなかった自分が悪いのだけれど、被災当日なら確か3日という思いこみで、3日なら休みだから日帰りでも行けると思っていて、4日に通常の仕事を入れていたため行けない。


ひーさんは、すでに現地入り、うっきーさんは日帰りで、おざざは泊まりで、車屋トールと痛飲?する予定にしているとのこと。残念。


犠牲になった方のご冥福を心からお祈りいたします。


これまたちゃんと確認して早めに手をつけなかった自分が悪いんだけど、そのころの携帯メールが保存件数を超えたので順番に自動的に消えていた。


一ヶ月か二ヶ月まえに、その当時の携帯メールを読み返してみたら、当時の空気というのが色濃く反映されていて、記録に残すとすごくこれからに参考になると感じて、パソコンに転送して、一覧にして、できればブログにアップしようと思いついた。


送信メールは保存件数が少ないからもう残っていなかったから自分が何を発信したかは消えているのだけれど、「いつ行きます」「誰が行きます」「何はどうなっていますか」「その件、こう対処します」などなど。


最初の一週間ぐらい?か。那智谷は携帯が普通で、市野々小学校の上の大規模土石流の後のお寺のところと、逆に市野々小学校から200メートルぐらい下ったところに、はば数メートルだけ電波が届くところがあった。


そのころはまだ自転車も届いておらず、バイクもなかったのかな。てくてく歩いては電波を拾っていた。そんな初期だった。


前に「ボラセンのマニュアルは、現地現場の声を拾いに出かけるというセクション、業務内容?が欠けているから、ぜひ入れてほしい」ということを書いた根拠の一つにそういう状況があった。


本当に被害のひどいところは、電話もままならないのだから、ボラセンにニーズは上がってこない。上がってきたニーズに対応するところがボラセンという構えをしていると、ほんとうに困っているところが抜け落ちてしまう。


ソフトバンクが、ワゴン車にアンテナを積んで簡易に電波を飛ばしにやってきていた。絆食堂の上の三叉路のあたり。そしてたら、発電機が壊れたかなんかで用をなさなかった。で、ひーさんが発電機を確保していた。(石巻からの支援だったのかな)


それで「じゃあ、発電機貸してあげるから、それ貸して」


アイパッドをバーターで貸してもらってしばらく使っていた、ということがあったことなんかを今思い出した。


15日から串本で合宿なので、前日か当日の朝にでも、那智谷には行こうと思っている。


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