現場の判断
- 作者: 有川浩
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2012/07/27
- メディア: 単行本
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自衛隊小説。主人公の空井は、子どもの頃からの夢だった航空自衛隊・ブルーインパルスの隊員昇格が内定した時に、交通事故に遭い、航空機への搭乗ができなくなる。
パイロットとして働けなくなった彼は、広報室へと移動になり…という、有川浩レベルの十分楽しく読めるお話である。帝都テレビのディレクター、リカとの淡い恋バナなどもからんで、そこそこのハッピーエンドの話として一度完結し、本来なら2011年の夏に出版されるはずだったが、3.11が起こった。
作家としても「このままの本では出版できない」と延期になり、そして最終章「その日松島にて」が追加され、それなりのドラマもあるけど、基本的にはそれなりのほんわか?した自衛隊広報室のお話が、一気に生々しい有事「その日」の話となり、自衛隊の現実が挿入されることで、ものすごく引き締まった話として再度完結。この夏の出版となった。
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その中で筆者がつねづね書いているボランティア現場の話とかぶる内容があった。
警察も消防も自衛隊も、もちろん被災地のために体を張って活動してくれているけれど、私有地には入れない。私有地にあるものはどけられない。
そして、ボランティアセンターはセンターで、平穏無事な間に製作したマニュアルに従い、残念ながらろくに被災現場の状況を見ることもないままに、無難な作業のみの対象作業を設定し、満足に広報ができていない状態で、ニーズが上がってきた家庭への人の割り当て業務に専念してしまう。
ニーズをあげることもできないぐらい被害のひどい地域や家庭、そもそも他人がわが家の片付けを手伝ってくれるという仕組みが理解できずに、ニーズをあげてこない人がいる現実などに、すっぽり抜け落ちてしまう被災された方々がある。
毎度毎度書くことは同じだけれど、ボラセンが作業内容の制限をかけるのも正しい。上がってきたニーズに対して対応していく基本ルールも正しい。ただし、それも現場を見て、それがどれぐらい制限がかかり実情と合っていないにもかかわらず、ボランティアの健康やの安全、公平感の確保などの理由で、やむなくそうなっているということが前提になっていてほしいというのが筆者の立場である。
「空飛ぶ広報室」という小説はもちろんフィクションであるけれど、中のエピソードなどは自衛官に取材した本当のことがネタになって話として展開している。
「あの日の松島」。宮城県の松島である。航空自衛隊の基地でブルーインパルスの基地でもある。海に近いこの基地は、ほとんどの航空機が津波に流されてしまった。なぜむざむざと流されたのか、さっさと飛ばせば良かったのではないのか、という素人の疑問にも実際の状況でそれが不可能だった理由が淡々と明かされる。
そして、航空機を失ってしまったが、基地の隊員達は地域の行方不明者捜索や片付けなどにすぐに出動する。そして、実は上記した「私有地には入れないという法律の制限」があるにもかかわらず、私有地でも作業をしていた。
以下、少し長いけれども、本文から引用する。
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広報班長がスライドの写真を数枚送った。隊員の救助活動のスナップだ。市街地や田畑のがれきの撤去。そして泥掻きの様子が写っている。
「これもかなり思い切った活動の一つで…」
リカにはとっさに理解できない説明だった。がれきの撤去や泥掻きは、被災地復興のごく基本的な作業に思える。
「よく見てください。隊員が民家の敷地内に立ち入っているでしょう。田んぼや畑にも」
それが何だとおいうのか。怪訝な思いはますます膨らんだ。
「自衛官は救助活動以外で私有地に立ち入ることは許可されていないんです」
膨らんだ不可解差がぱちんとはじけ、呆気に取られた。
「そんな……、じゃあどうやって街の復興を」
「ですから、従来の災害出動では私有地には触れられなかったんです。民家の塀が倒れていても、それが公道側に倒れていたら撤去できますが、敷地の中に倒れていたら手を出せない」
「非常時ですからそれがうらいは許されると思いますが」
「しかし法律はそううなっていない。それに、自衛隊にも能力の限界があります。すべてきれいに片付けてあげたいのは山々ですが、そうするには物理的に隊員の数も機材も足りない」
・・・・・ 中略 ・・・・・・
起死回生の策を打ったのは当時の基地司令だった。
「基地からの遺失物を、捜索せよ、という命令が下されました」
松島基地は津波で敷地全員が水没した。基地から危険物や機密保持に関わる物品が近隣に流れ出ている恐れがあるとして、通常の制約を超えた活動が指示されたのである。
・・・・ 以上 引用ここまで ・・・・・・
こうして隊員達は「遺失物捜索」という名目の元に、被災家屋に入り、やや「遺失物捜索」の範囲を超えているかもしれない活動を繰り広げた。
本文では、この基地司令は定年間近であり、いざという時は自分が責任を取ればいいと腹をくくって決断をしたのだろうと語られている。またその隊員の活動が、「法律違反じゃないか」という心ない報道されないように細心の注意を払い、またマスコミも好意的な報道に終始したという。
行政には行政の苦しい事情があるということはこの小説に取り上げられたエピソードで理解した。
宇治市が阿蘇市が忘れたけれど、どちらかは「ボランティアは床下はやらない」と早々に決め、かわりに業者を頼んだ場合の補助金30万円という方針だったそうだ。ボランティア、床下にもぐって泥だしOKという方針を出し、ボランティアから「あそこまで過酷な作業をボランティアに強いるとは何事」というクレーム上がれば、それはそれで問題なんだろうな。
だからやっぱり、それなりに突っ込んだボランティアが活動できることが重要なんだと思う。石巻では、それをさまざまな団体を復興支援協議会という形でくくりにして、個人一般ボランティアとは別にあるていど自由にやれることをそれぞれがやることで幅広い支援活動を継続することができた。
トムは結局まだ阿蘇市に張り付いて活動している。那智勝浦でも、一年たった今でも土日には作業をやって、庭の泥だしなんかをやっている。
正解はない。けどボランティアセンターの「一般わく」を超えた活動が、必要である現実はどこの現場でも痛感する。そんな現実を知ってほしいと、昨年書いた「本職でボランティア」を連載してたけど、竜巻のあたりで止まっていたことを思い出した。明日からまた連載します。