運気

道場が日々きれいになっていってます



道場の入っているオフィスビルの改修工事が終わり、それに触発されて始めた道場の畳替えが終わり、さらには神棚の壁への取り付けも終わった。


畳替えで畳を取り出した時
風水などで運気を上げるために○○を部屋の角に置く、○色の財布を持つなんて話を聞くが、神棚をちゃんと部屋の上の方に祭るというのも、なかなか重要なことらしいとその筋に詳しいK先生にお聞きした。



別に運気を上げようというもくろみで設置しなおしたわけではない。しかしながら、運気が上がった結果として、神棚をより適切な場所に設置する運びとなったということはありうることだと思う。


道場にお札のたぐいを持ち込んだのは筆者ではなく道場を使われている別の方で、神棚自体もK先生が寄贈してくださったものだ。


私の仏ごと神様ごとスタンスは「明らかに非礼な状況でなければ、まっ、いいか」という程度のものであったわけで、なんとなくなりゆきできた過去10年だったのである。


だから、「神様にとってより快適でふさわしい場所にお祭りしよう」などという考えは優先順位の中では極めて低い位置にあった。



思い返せば、こういった経緯だったのだ



どこまでさかのぼればいいのかわからないけれど、進化体操と痛くない整体という二つに、ここ15年ばかり追いかけていたものがまとまった形になってきたので、そろそろ看板なども出そうと思っていた数ヶ月前。


7月ごろからビルが改装工事に入って、外観や廊下などがすっかりきれいになってしまった。古くて性能の悪い空調が撤去され、新しくて高性能なエアコンが取り付けられた1ヶ月前。


きれいになってくると、もっときれいにしたいと合宿明けに畳も新調した。


一方で、窓際の床置きの巨大な空調が撤去された床面に、ぽっかりと床面むき出しの四角い大きな穴ができてしまった。そのころボランティア仲間で絵描きさんだけど副業で大工や内装をしているうっきーさんが和歌山の自宅に整体に来られていたので「そういうお仕事できます?」と話を振ってとんとんと進む。


サイズをはかって、和歌山でうっきーさんに作ってもらった床材を床の穴にはめ込んだら、私の採寸は間違っていなかったのだけれど、壁や床材そのもののゆがみがあって二つの穴のうち一つにうまく収まらなかった。


ので、結局うっきーさんに道場に来てもらわないとだめだということになった。で、せっかくきてもらったついでに、神棚もやってもらえますか?という話になった。


ということで、こうなった

うっきーさんが道場に来るということがなければ、わざわざ大阪の工務店を探して電話して、お願いするということはまず考えられない。


うっきーさんとの交流も、東北では全然会うことはなく(満月屋・岩本さんと活動されていたそうだが)、那智勝浦でお会いしてから、整体のほかにもにんにこサマーキャンプや、阿蘇市へ出動された際に道場の支援募金をお渡しするなど頻繁に会う機会があったことも最近の特徴である。



運気とは?


物事がうまくいくときというのは、一つの要素だけでうまくいくほど単純ではない、というのがうまくいった時の実感である。パチンコのように、玉が大当たりに入るように要所要所のいくつもの釘に当たっては方向を変え「運ばれて」いくのである。


パチンコであり、真鍋ジャパンのバレーボールであり、なでしこジャパンのパスサッカーである。古いけど星野タイガースの優勝時の「つなぐ野球」である。


9月合宿があんまり良かったので、すぐに11月合宿開催を決めた。今までは個人で企画運営していたけれども、次回からは複数の有志による「実行委員会方式」を採用した。おかげで準備作業そのものが格段に早くなっている。


運気を上げるとは、ある流れを担う複数のメンバー(要素)の最適な一部になることである。(今考えた)



神棚を設置してみると、今までの和ダンスの上と比べて、なにか「オセロゲームでコーナーを取った」ような気分になった。ぱしっと決まった感触があり、その波長というか秩序を周りに広げていけばいいんだという感じがある。


それ以来、毎日不要品をせっせと捨て、ものの置き場を変更することが続く日々である。この「新秩序に向かっての継続的変化の持続力」というあたりが運気そのものという感じがする。


運気を上げるとは、今顕在化しようとしている流れが、より明確に姿が現れるようになるための、同時多発的な持続的な行動のことである。(今考えた)


まとめると


運気とは未見の結果に向かっての流れの中で、その流れのメンバーの一員として、継続的に最適なポジショニングをとろうとする行動に、躊躇がかからない状態のことである



なんか、ふつうの仕事と一緒やんか。というのが運気に対しての本日の考察の結論である。