本職でボランティア  5月7日牡鹿の浜へ

長らく中断しておりました、連載の続きです。


東日本大震災ボランティア活動記録

「本職でボランティア」 



これは一昨年3〜5月に、宮城県石巻市の災害現場でお会いした「過去の災害救援からの経験豊富なボランティア」「さまざまな本職を活かして、被災者に喜ばれる技能・職能ボランティア」のみなさんの活動を、「こんな活動もあるんだ、こんな活動をしている人もいるんだ」ということを多くの方に知ってもらいたいと、大急ぎで本一冊分ぐらいの分量を書き、筆者の関係者にお配りしたものです。とにかく一日でも早く多くの人が読み、被災地にさまざまなプロが駆けつけてくれればという思いで書いたため、内容には筆者の独断や偏見、認識不足や事実誤認も含まれていることをお詫びいたします。また内容はあくまでも二年近く前の当時の状況に基づいて書かれたもので、現状とはずいぶん離れています。当時の様子を知っていただくためにも、ほぼ原文のまま掲載いたします。

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第4章 祭りで復活 石巻


5月7日 牡鹿の浜へ


今回の石巻活動で現場で活動するのに当てられる最後の日。昨日に引き続き女川で活動しようと考えていて、先日の朝のミーティングでの黒さんの牡鹿報告を思い出した。


その日はおそらくGWの休みを使って活動した大学生ボランティア部隊などが活動最終日となるメンバーが多かった日のようだ。一日の活動が終わり、今日で浜を最後にそれぞれの地元や大学に帰る予定の多くのボランティアを前に、漁協の組合長があいさつをした。


「みんなありがとう。何年かかっても絶対牡鹿の牡蠣を復活させるからな。そしたらみんな浜へ帰って来いよ。牡鹿のうまい牡蠣を腹一杯食わしてやるからな」


組合長は目に涙を浮かべてそう語ったという。それを思い出した。ここで終われば感動的な話だが、人の心というのはもう少しリアルだ。その話を思い出したら無性に「俺もその牡蠣が食いたい」と思った。牡鹿でもうちょっと活動しないと牡蠣を腹一杯食べる権利が生まれないと思った。


またいつも整体させてもらっている東山食堂さんも、今日は牡鹿の浜で親子丼の炊き出しをするという。一度は東山食堂さんの炊き出しも食べたいと思った。そして、漁具回収の様子も見たいし、ならばと予定を変更してえびちゃん、剛ちゃんと牡鹿に向かった。


以下、この本の冒頭の5月7日の記述に続くように、本職ボランティアたちのすばらしい活動をまとめて見ることになった。組合長は小渕浜らしかったが、助さんによると「あそこは整体できる場所がない」ということで大原浜の集会所での整体になったので、組合長の整体はできなかったが、それは次回だ。


 三陸の海の幸の宝庫に来て、地元海産物を何も食べていない。唯一の例外は、昨日別荘の下見に行った時にお土産に頂いた「女川で一番に復活した笹かまぼこ」のみだ。人を動かすのは、何かをやれた達成感ではない。やりきれていない思いが次につながる。


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