消えた六甲「の」

六甲のおいしい水 



筆者は、過去飲んだあらゆる天然水の中で、もっとも好きなのは「六甲のおいしい水」である。


子どものころから高校生まで遊び、親しんだ六甲山の思いでもあいまってのこととは思うが、味も口当たりも大好きである。


そして、輸入品でない国産ミネラルウォーターとして最初に記憶に残っているのが、ハウスの六甲のおいしい水である。


まだペットボトルも世を席巻しておらず、牛乳のような紙パックに入っていた。当時は水を買うという文化もほとんど見られず、それほど売れているとは思わなかった。


水を買うことが珍しくなくなった昨今、どうせ飲むなら六甲の水が飲みたいと思うが、コンビニでは南アルプスか奥大山かいろはすか外国産がメインで、見かけることはめったになかった。



それが最近、自動販売機で目にするようになり、うれしくって買う。うんうん、この味。パッケージも紙パック以来のデザインが踏襲されて。ん、???


よく見たら、ハウス食品ではないじゃない。アサヒ飲料です。そして、もう一つ、「六甲のおいしい水」だったはずが「六甲 おいしい水」に変更されている。


「の」はどこへ行ったんじゃ。



ここから筆者の推理は始まった。


ハウスだったはずがキリンになったのは企業の論理であろう。コンビニへもどんどん品を入れ、自動販売機も豊富なアサヒ飲料が、老舗でブランド力もある「六甲」を、採水地とともに買い取ったか、はたまたハウスが、飲料としての販売力の低さに(勝手な推定)嘆き、販売力に勝るアサヒに「買いまへんか」と持ちかけたか。


これはどちらでもいい。たとえば、ハウスの株をアサヒが大量に買い入れて傘下におさめたとか、(ハウスさん、すいません、妄想です、経済小説の世界です)そういうことはどうでもいい。水は相変わらず好みの味でおいしいのだから。


問題は「の」である。


なにゆえ「「の」がなくなったかということである。


熟考すること数日、筆者は一つの結論をみた。


推理の根拠はそのボトルに記された「採水地」の住所である。神戸市とある。ここまではいい。その先である。西区とある。さらに井吹台東町とある。


兵庫県民の感覚として神戸市西区は六甲ではない。地図で検索してみた。採水地井吹台東町と六甲の稜線との最短距離を目測した。ざっと8キロある。ということは麓からだってざっと5キロはあるだろう。



ハウスは関西の会社である。近鉄の小坂の駅前にあったからたぶんそう思う。アサヒ飲料は東京都墨田区の会社である。ボトルにそう書いてあったから確かである。


ここに六甲のおいしい水アサヒ飲料が販売しようとした時の問題があったのだと推察する。おそらく墨田区アサヒ飲料の会議室が紛糾した問題があったのだ。


それが採水地である。


おそらく六甲のおいしい水をハウスが発売した際に、やはり際水地の問題は、ちょろっと出たのではないか、と推察するのである。そして、六甲山脈から推定8キロ、山すそからも5キロ以上離れた採水地をもって「六甲の」と言っていいものかどうか、というのはちょろっとかすめたと思われる。


神戸市西区というのは、神戸と言っても海からも六甲からもずっと離れた西の方である。高い山はない。どちらかと言えばなだらかな丘陵地帯と言っていい(ような気がする)しあわせの村もあるし。


で、採水地に立った、まことにアバウトな関西人のハウス食品商品開発部長は、遠く南東の六甲山側を仰ぎ見て


「あ、六甲山見えるやん、OK,OK、問題なし」


と道ばたであっさり結論を出したのだ(推定)


しかしながら、東京都墨田区アサヒ飲料の会議室では、新規商品担当課長かなんかが、真っ青になってぶるぶる震えながら


「部長、こ、こ、この採水地は六甲山もしくは六甲山麓とはいえません」


と言ったに違いない。


産地偽装でキリンビバレッジあたりがつついてくることは間違いありません」


「コカコーラも、『いろはす』とか『森の水だより』なんてアバウトな、原産地なんてどこのをどう使おうが問題ないネーミングをしているだけに、きっと攻撃してきますよ」


なんて意見が続出したに違いない。


「なんだと、ええい、ハウスのやろう」


なんて暴言も出た(かもしれない)



水にとって六甲はブランド中のブランドである。灘の生一本という銘酒を育てた水だ、という歴史的ブランドである。


ちなみに灘の生一本を育てた六甲の伏流水「宮水」は六甲山脈の南東山麓である。


神戸市西区井吹台東町は、六甲山の北西に遠く離れて、間違っても宮水が混入することは決してない地域である。



アサヒ飲料にとっても「六甲」の名は捨てがたかったに違いない。


「神戸市西区のおいしい水」


というネーミングでは売れ行きは十分の1あるだろうか。


「南東に六甲が見えるあたりの地下水だから、きっと六甲山から流れてきてると思う水」


というネーミングでもよけいに言い訳がましい。


三日三晩の戦略会議の結果、また関係無関係各方面への徹底リサーチ、学識経験者への諮問などあらゆる検討の結果、当時の社長は決断したのだ(推定)


「のを取ろう」


と。


すべての災いの元は「の」であるのだ。「の」さえ無ければ、神戸市西区問題は浮上しない。


「この場合の【六甲】は、あれだ、地酒が土地の名山やら有名な川なんかの名前を冠するだろう、あの解釈で行くのだ」


清酒 淀川(があったとして)が、淀川の水で仕込んでなくっても誰も怒らないだろう。逆に淀川の水で作ったら、汚そうで誰も買ってくれないだろう。それだ!」


というような会議を経て、ハウス時代のパッケージデザインを活かすだけ活かして国産メジャー天然水第一号のイメージは残し、しかし一方で「の」をはずすことで「産地偽装の追求の手」が万一起こった場合の逃げ道を作り、めでたくモーニングワンダ」などと仲良く自動販売機にならぶことになったのだ(推定)


以上、すべては筆者の憶測である。そのような裏側があってもなくても、大好きな六甲の水が入手しやすくなった昨今に心からありがたく思っている筆者である。



ハウスさん、アサヒさん、ありがとうございます。


ここまで書いたあと、ふと思った。本当に最初から「の」があったのかということである。


もしかしてテレビCMでは「六甲=の=おいしい水」とうたいながら、その実パッケージ・ボトルには最初から「の」を抜いていた可能性があったかもしれない。どうでもいいことだけど、気になる。どなたか真相をご存じの方がおられたらぜひお教えください。