本職でボランティア  5月6日新しい拠点

長らく中断しておりました、連載の続きです。


東日本大震災ボランティア活動記録

「本職でボランティア」 



これは一昨年3〜5月に、宮城県石巻市の災害現場でお会いした「過去の災害救援からの経験豊富なボランティア」「さまざまな本職を活かして、被災者に喜ばれる技能・職能ボランティア」のみなさんの活動を、「こんな活動もあるんだ、こんな活動をしている人もいるんだ」ということを多くの方に知ってもらいたいと、大急ぎで本一冊分ぐらいの分量を書き、筆者の関係者にお配りしたものです。とにかく一日でも早く多くの人が読み、被災地にさまざまなプロが駆けつけてくれればという思いで書いたため、内容には筆者の独断や偏見、認識不足や事実誤認も含まれていることをお詫びいたします。また内容はあくまでも二年近く前の当時の状況に基づいて書かれたもので、現状とはずいぶん離れています。当時の様子を知っていただくためにも、ほぼ原文のまま掲載いたします。

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第4章 祭りで復活 石巻

5月6日 新しい拠点


 


午前中、地元の異業種交流会の方が、その会で「実家を改造して作った別荘」を整体チームに使って頂きたいというありがたい申し出があり、渡波駅で待ち合わせをして下見に行く。実はその会の方々は、今までも専修大学でテント生活をしているチームメンバーがお風呂を提供して頂くなどの支援を頂いていて、昨日の夜は「整体チーム慰労バーベキュー」を企画してくださってメンバー全員がめいっぱいごちそうになったのである。


整体チームそのものは、実は私設避難所になっているラブホテル「まりな」さんからもボランティア拠点用に一室提供を受けている。


この本の中では「整体チーム」という立ち上げの際の復興支援協議会への登録団体名で通したが、実は名称は何度も変わっている。五月の連休の際にご一緒した滋賀県鍼灸師会の「燃える鍼灸師」にして「ご住職」である日比さんが、


「正直に申し上げると整体チームという名称では鍼灸師は少し参加しにくい」ということだった。リラクゼーション活動を行うチームで、かつ健康面のサポートをするということ「ヘルス」の表現でくくっていただければより参加しやすいのではとアドバイスをもらったので、「リラクゼーション&ヘルス」と登録名称を変更した。


ところが、毎日の支援協議会で「ラブホまりな」とか「ヘルス」という単語が報告時に頻出し、その健全で崇高な活動とは別に、風俗営業法的連想で爆笑を誘ってしまうので、この団体名は短期間でボツとなった。実際にチーム内では「理容・美容」や「大工さんによるちょっとした修理や包丁研ぎ」などの活動が活発に実際に行われているので、総合的に被災者の「日常生活向上サポート」をしていくという意味で「ライフ」に変更し、「リラクゼーション&ライフ」となった。


その後、筆者がしばらく現場を離れていたら「総長ごめんなさい、また団体名変わりました」とメールが来た。最新チーム名は「整体マリナーズ」だった。常に「現場の判断が何事にも優先する」というのが現場VS後方支援における整体チームの方針なので、異を唱えることなく了承した。


渡波駅から20分ほどでいける小竹浜は、やはり海岸部は大きな津波の被害を受けているが、少し坂を上がったその「別荘」は「手作り露天風呂」が水漏れし、水道が使えない(山の水を近くで汲める)けれど、宿泊スペースとして使うのには問題ないというよりも贅沢なぐらいであった。大学生のような少し人数がかさばる団体をコーディネートして、牡鹿半島で泊まり込みで活動するというような際には、ぜひ拠点にさせてもらえたらと思った。


ここは仙台で家具屋さんを営む柏さんのご実家である。交流会のメンバーで昨日のバーベキューでご一緒だったの鳶の会社の鎌田さんも一緒に来られた。鎌田さんは、肩の痛みで腕が上がらず鳶の現場で仕事にならずに困っていたのが、昨日のバーベキューの席で調整したらいきなり動くようになったので、整体への信頼が実に深いのである。


建設関係のお仕事なので、その方面からの復旧と復興の時期的なめどなどいろいろと参考になるお話を伺う。とびの話でこんな興味深い話を聞いた。


今では「刺青(いれずみ)」というとやくざの代名詞になっているが、あれはもともと鳶職の職業的身体マークだった。とびは火事になったら火消しとして活動する。江戸時代の消化というのは放水ではなくって火の回りの建物を壊して延焼を防ぐ「破壊消火」がメイン。ぎりぎりのところで活動するから、亡くなる人も多い。焼死した遺体が誰の遺体か分からないこともある。その時に刺青をしていると、皮膚の焼けこげていないところの絵柄で、誰の遺体なのかが分かるという職業的な必要性があったんだという。


まだまだ見つかっていない津波の被害に遭われたかたの遺体も、どんどん誰の遺体なのか分かりにくくなっているだろうことを思う。


柏さん鎌田さんと別れて、市内に戻る。採澤君と3月末に初めて石巻入りして目にした石巻大橋の西側、東中里・元倉へ。あの時、歩く人もほとんどなく、車も少なく、信号も電気も消えた津波の痕跡だらけの街にあぜんとしていたあたりだ。すき屋もラーメン屋も開店している。ラーメン屋に入って昼食。メニューは限られているが、お客さんは多い。


午後からは女川で活動しているメンバーに合流し、今日までが活動期限の吉田君をピックアップして石巻駅に送る。帰りに大橋のたもとのOさん宅へ訪問。久しぶりだ。


【後日談】

この牡鹿の付け根の別荘は、その後誰も使うことなく過ぎていたのだけれど、一年ちょっとたってから、三代目リーダーのなべちゃんや、キッズのナベちゃんが、協議会でスタッフとして活動することになって、その際の住まいとなった。ありがたいご縁です。



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【新大阪健康道場からのインフォメーション】

近づいてきました、進化体操3月合宿
3月22日〜24日(一泊二日参加可能)

兵庫県宍粟市一宮町スポニックパーク一宮

http://ameblo.jp/sinkataisou/entry-11483138858.html