10万回のありがとう 3

ありがとう実践には


1 日本語マントラ的数を出す方法
   1万説 10万説 年齢×1万説あり

2 とりあえずなんにでもありがとうを投げかける方法


というアプローチがとりあえずあるわけですね。


前記したように筆者はへそ曲がりである。マントラ方式か無差別方式という二つがあることが明らかになったら、その二つをしない道を探すというふうにベクトルが向かう。


ここでは、畳さんにはありがとうを言うのに、アドバイスをくれている人にはとっさにありがとうございますが返せていない現象の方を掘り下げていきたい。なによりここで適切にありがとうございますが出ている状況であれば、その後技術の習得なりレベルの向上は明らかに進むというのが端から見て明らかなのである。


そこで「いや、ほんとにそこのところで止まっていたのですよ、おかげさまで練習する手がかりができました。つきましてはここのところがいまいちつかめていないようなのですが、もう一手御指南頂ければ」


「お安いご用でございます、ようするにここんところはこのように」



「おお、まさに目から鱗でございます。まことにまことにありがとうございます。」



というふうになぜならなかったのか、ということが分かればいい。



要するに準備不足だと考えるとつじつまが合う。Aさんが分からないなりに自主練習を積み、できることとできないこと。方向性は分かるけれども体現しないことなど、ある程度進めておれば、上記のような展開が待っていたはずなのである。


そうなのである。ありがとうを言うには、ありがとうが言えるような準備が必要だったのである。


その準備が出来ており、一日のあらゆる場面で、事態の打開、苦境の脱出、問題の解決が頻繁に起こり心からの自然な「おかげさまで、ありがとうございます」が連発しているような状況を何というかと言えば、順風満帆、絶好調、ひらたくいえば幸せである。


そしてその準備というのは、何事かを成功させておくということではなく、ひらたくいえば自分の現在地、立場、関係、何を目標になにを手がけていて、どの程度進行して、何に問題があるかを徹底して明らかにしておくということのようである。


前記した例であれば、自主練習で自分の実力のほどを明らかにするという仕掛けがあれば、先輩のアドバイスというものには心からお礼が言える。


何かのお店であれば、品揃えや製品の品質の向上、接客の仕方などに創意工夫をこらしている方が、何の工夫をしないで漠然とお客さんがくればいいなと思っているだけの店よりも、心からありがとうございますが出るような気がする。


集客の工夫を自分でやる方が、何の工夫もないよりもありがたくなる。自分では何も努力をしていないのにお客さんが来る方が本来はありがたそうなものであるが、実際には逆に働く。何の工夫もしない方が世を恨み、不運を嘆き、またお客さんに対しても「けっ、これだけしか買わないのかよ、しけた客だ」などといいそうな気がする。


というようなことをつらつらと考え、よし、心からのありがとうございますが一日に何回も出てくるように、着手済み未完成現在進行中のものを数多くもち、他者との関わりの中でそれらが成就ないしステップアップするようにしてみようと数日試みた。


ひえ、なんて難しいんだ。


確かに、「着手済み未完成現在進行中のもの」は数多くあるけれど、それらの進行状況、問題点、自力で可能な範囲と必要とする他者の協力項目など、まったくあいまいである。


まっとうなありがとうございますが一日に何回も連発できるようにするために、それらの条件を満たしたとしたら、そりゃビジネス、仕事、人間関係などはるかにうまくいくだろうなということが分かった。


なるほどな。やるのが当たり前のことを全然やっていないということだ。自分は。


この話を書くきっかけになった「ありがとう1万回を言ったことがある」という男性とまた話す機会があって、その彼がいうには


「やってみて、言うだけだったら、何の意味もないと分かった」でした。同感です。