10万回のありがとう2

「ありがとう1万回説」と「10万回説」を書いていたら、K子さんから「年齢×1万回らしいです」とのメールがあった。


筆者この4月で52歳。上二人は家を出て大学進学。せっせと学費と生活費を稼がねばならない。10万回で推定25時間以上かかるのだから50万回には130時間ぐらいかかることになる。ありがとう実践のために130時間を捻出する余裕はない。


病気療養中の方とか、獄中であるとか、受付でにこやかにまわりに視線を常に向けているのが仕事で内職はできないというような労働生活環境の方で試行された方があれば、ぜひどういう経過でどういう結果をたどったかをお教え頂きたいと思う。


基本的に筆者はへそ曲がりである。みなが右だというと後先考えずに左の道を探すというような習性がある。ゆえに10万回で良いことが起こると聞くと「じゃあ10万回かけないで良い方法を探してやんねん」と発作的に思う。そういう人間が書いた文章であることを読者のみなさんは心得ておかれればいいと思う。



昨日書いた「ありがとう論 第1段階」を授業の中で話題にしていたら


「あらゆることに感謝心を持ち、ことあるごとにありがとうと心の中で言っています」


という方が1人おられた。(おお、ありがたい)。さっそく生きたサンプルがお一人登場。


「今いるこの部屋の畳さん、ありがとうございます、空気さんありがとうございます、という具合でございます」


などと、あらゆる機会をとらえて感謝しているとのこと。ただし、数はカウントしていない。


講習の中で、そのAさんを注目することになる。ご自分の自覚としてあらゆる機会をつかまえて、およそ日常ではありがとうの対象にならない物にまでありがとうを投げかける人と、そうでない人の比較対象ができる貴重な機会である(ああ、ありがたい)


注目するほどに、なんか見えてきたものがある。無差別ありがとう実践は、その人を対外的には嫌みのない気持ちのいい方にすることには効果が現れているようだけれども、こと技術の習得の場において、習得の促進には効果が出ていないようなのである。


その日の練習内容はAさんにとってやや難しく感覚がつかめていない技の稽古。その日組んでいるBさんは、その分野を仕事にも使っているベテランである。Bさんのアドバイスや質問はなかなか的確で、Aさんはその技術を身につけていくためのヒントをたくさん出してもらっている。


このタイミングでありがとうございますが出れば、さらに次に段階に行けるのにというのは端から見ているとよく分かる。しかしAさん自己反省の弁は語るけれどもなかなかBさんへの感謝の言葉は出てこない。「ありがとう言うなら『今でしょ』」という感じなのだけれども出ない。


客観的にみると、ややきつい言い方見方になるかもしれないけれど「どうでもいい畳さんにはありがとうを言って、今まさに上達のヒントや的確なアドバイスをくれた人には、適切にありがとうが返っていない」のである。


なんてところまで書いていたら、またまたメールでのありがとう関連情報。


「日本語の言霊が重要との説あり。英語では効かないらしい。心がこもっていてもいなくてもとりあえず日本語で出せ、数を出せらしい」


説が飛び込んできた。


ふーん。いろいろあるんだ。ということでなかなか終わらないありがとう論です(たぶん続く)