10万回のありがとう 1

ありがとうございますと10万回言うと、何か良いことがあるらしい。


最近知人の1人が「1万回言ってみた」と言っていたが、筆者が以前に耳にしたことがあるのは10万回である。


ありがとうございますを実際に声に出してみると、一回に2秒かかる。1分に30回、1時間に1800回。10万回には55時間から56時間かかる。


10万回唱えたあとに起こる状態も楽しみだけれども、筆者にはそれに優先してやりたいことがたくさんあるので、実行に移せる余裕は当面ない。



でも何かおもしろそうである。興味がある。すごくいいことのようにも思える。そこでやったつもりでシビアに、シミュレートしてみた。その上で再考してみてもいいではないか。


一般的に同じ事を延々繰り返すとどうなるかというと、好きになるか嫌になるかのどちらかである。うまくなるか雑になるかのどちらかである。疲れるか楽しくなるかのどちらかである。本質に迫るか本質から遠ざかって形骸化していくかのどちらかである。すくなくとも私の場合はそうなる。同じということは普通ない。



「10万回のありがとうございます」を実行したとして、実行した人全てが幸せになるという説には私は与しない。同じ授業を受けても理解する人と目を開けて寝ている人がいる。同じものを食べて太る人とやつれる人がいる。同じ運動をして丈夫になる人と疲れる人がある。つまり、同じ事をやっているようで、人それぞれ違うことをやっているのが日常である。10万回のありがとうの時だけ、そのメカニズムは働かなくなるという考え方は採用しない方が事態を正しくとらえると思う。



延々ありがとうございますを唱えるという行為の目的が「感謝心」と無関係であるはずはない。シンプルに考えれば、身体の隅々五臓六腑にありがとうございますがしみわたる状態を作ろうとしているというあたりでまずは異論はないと思われる。



ありがとうの本質とは何だろう。必要なのは対象である。人物にとどまらず、事物、事象、自然、何でも良いけれどもその対象と自分との関係に流れるもっとも良質なエネルギーなり「場」の一つがありがとう状態だと捉えてみる。


そういった「関係のエネルギー」を、自分を取り巻くあらゆる人、もの、事象と結ぶことが出来れば、それだけですでに御利益満々の状態であり、またその後にとってもいいことがたくさん起こりそうということもうなずける。



10万回の御利益というものは、実際に実践していないので分からないが、ありがとうの心身、ありがとう関係エネルギーの増大などが「起こらないで」なにか別な幸運が訪れたとしたら、ありがとうに対して失礼である。



10万回やったにも関わらず心身に感謝心がまったく満ちあふれない状態で、宝くじに当たる、彼女が出来る、昇進する、買った株は値上がり、仕事は千客万来になる、遺産が転がり込むというようなことが起こったとしたら気持ちが悪い。



私の人生の中で、私自身の努力の結果と関係なく、世間的に見れば幸運な結果がもたらされたことは何回もあるが、それは私の幸福実感度を大して上げなかった。幸運だと人が思うようなことは起こったが、思われるほどに嬉しかったわけではない。


10万回のありがとうございますに、ふと心を引かれた自分を分析してみると、他者との関係エネルギー(場)が良質に活性化することで、自らが手がけていることが順調に活発に進行し、他者との関係の中で結実するものが多数連続的に出てくる状態を望んでいるのだということがわかった。こういう状態ならば、人が見てあいつは幸運だと思うことと、俺は幸せだと感じることが合ってくるようである。


「おかげさまでうまく行きました、ありがとうございます」という状態が、多方面多数の方々との間で連鎖、連続、連結、雨後の竹の子、絨毯爆撃状態で起こればいいなということである。


目的とする状態は明確になってきた。では次はどうやってという方法である。(つづく たぶん)