ダッシュ隊新年会もう少し詳しく

昨日のダッシュ隊新年会のあとの記念写真。まんなかはごぞんじトム。私設?のボランティアコーディネーターとして誰よりも先に現場に駆け付け、すぐに来るであろう過去知り合った仲間たちにつなぐ。そんか活動をここ2年半ずっとやっている。そんな活動でもちゃんと生活していけるということを、これから身を持って実証していきたいという。明日は彼は伊豆大島の百か日法要。


ここにはうつっていないけれども、神戸のマリリンさんは、阪神大震災のお返しということになるのか、震災後のあらゆる「ボランティアバスツアー」を探して、大阪発がなければ東京発も探して、仕事をお勤めしながら、80回を超える被災地入りをされた方らしい。仕事をしながらでも、そういう人もある。


若々しく見える堀ちゃんは、トッピーさんが「最年長、最年長」とやたら振るのだけれど、どうみても最年長に見えないのだけれど、御年72歳。ダッシュ隊主催の東北バスにはほぼ連続8回だか参加したそうだ。年齢の壁というのもないらしい。


四国徳島の森さんは、東北の中学生を徳島に招いて、中学生同士の交流をしてもらい、なんとか防災減災のリアルな意識を持ってもらう場を設けようと奔走されている。過去にも阿波踊りを一緒に、という企画も成立させたそうだ。地元の行政や学校を巻き込んで、というような活動もあるといことだ。


オードリーこと春日さんは、京都のわかだんな?で、祇園祭では山車の上で「コンチキチン」とやっている京風薄味男子?だけれども、とにかく近場日帰り出動の際には、災害現場を知らない友人を捕まえてはだれかしら連れていく、ということを肝に銘じている「外見京都風おっとり、内面けっこう燃える男子」なのである。友人知人にも活動の橋渡しをする、という活動もある、ということだ。


木内さんは、来月、南三陸市のことを描いた映画「がれきとラジオ」という作品の上映会を大阪の中津で開催するべく奔走されている。そういう機会をつくって風化させない、とか知ってもらうという活動もあるということだ。


長野君は、京都南禅寺の水害片付け現場で知り合った若者。でもダッシュ隊で牡鹿などに向かううち、半年だか長期滞在して活動したつわものである。たくましいあくの強い風貌ものごしではない。あくの強いメンバーの中では目立たないが、だれよりも長期活動していたのである。しかしそんな彼も堀ちゃん(確か)の言によると「最初の参加の時には、誰とも一言も話すこともできないぐらい引っ込んでいた存在」だったらしい。活動は人を変える。そう。被害地域の人のために「やってあげる」ではなく、知らずにこちらもたくさんのものを頂いている。人を変えるのである。そういう側面もあるということだ。


あつしさんや智子隊長は(遠方なので少し早く帰ったので写ってないけど)、滋賀から。十河さんが2012年の秋の台風でがれきゴミで埋まった琵琶湖畔を何とかしようというSOSを呼びかけた時に一緒になった。この琵琶湖畔がれき流木・流ヨシ撤去の活動は、その後周辺山間部の不法投棄ごみの撤去、清掃へとつながっている。災害をきっかけに地元を何とかする活動に発展して、その中で、琵琶湖をホームグランドにするウインドサーフィン部の学生やらイビューサの学生やらと連携が生まれ、これがいざという時につながっている。近江高島にもこの十河つながり軍団が大挙して駆けつけ、速攻で側溝を抜くという即効を上げていったのであった。


学校の社会の先生で、自身の活動を全校道徳教育の時間に話した先生もいらっしゃった。うう、名前が出てこない。でも話しながら整体したので背骨と肩の感じは覚えていますが。


辻ボンは、筆者のブログかFBを読んで、近江高島の水害でチャーミーさんに無料宿泊させてもらったとのこと。書いてあることが実際に誰からの役に立ったということなので嬉しい。知ったことを知らせるだけでも活動として誰かの役にたつこともあるのだな。


個々の方々と隅々までじっくりお話ができたわけではないので、うろ覚えの内容を書いただけだけど、ここに書けていない参加された方々にもそれぞれにいろいろな活動とのかかわり方がある。そういうのを聞くのが実に楽しい?というのか参考になる。


ちなみに、ダッシュ隊では春までには那智勝浦日帰りまぐろ食べに行って、その後を見にいこうかツアーなども開催する予定らしい。かつて活動したところに観光に行く。こういったかかわり方もあるわけだ。