土論からいろいろ

上手に最適なストレスをかけると、何にでも変われる万能細胞が生まれる=対応力が生まれる。


筆者はSTAP細胞のことをとりあえず単純にそうとらえている。



道場の活動というのは、改善・上達・進化・発展というようなことを追いかけている。


そして、どういう能力が向上した結果、その方向に行くのかと考えると、ようするに能力というのは対応する力やなと仮定すると、なかなかおさまりがいい。対応とか対処とか、そういう言葉を並べると見えてくる世界の方向である。


「果実の豊作」というものについて、何かで読んだことでいたく納得したことがある。果実がたくさん成るというのは、日照りが良かったとか養分をたっぷりやった結果というよりも、その木が


「なんかやばいんちゃうのん。状況が悪いんとちゃんのん。これはちょっと子種をたっくさんまき散らしておかないと、血統が絶えてしまうやんけ」


と感じた時に実をいっぱいつけるという考え方である。一読して「きっとそれがほんまや」と思った。


「やばい!」と感じる状況を察知して対応した結果が豊作論である。満ち足りていれば対応する必要ないんだから、そのまま惰眠をむさぼっておればいい。


すると肥料をたっぷりとやる、というのはどういうことなのかなという疑問がわいてきた。肥料をたっぷりとやるということと、土が肥えているというのはどういうことなんだろう。単に栄養豊富ならいい作物、強い作物になる必要がない。


堆肥なんというのもできたての堆肥だと刺激が強すぎるのか、作物がやられてしまうらしい。
だから時間をかけて完熟させるというような説明を読んだ。発酵を進ませるということだ。発酵ってなんやと言うと部生物が増えることである。「いい土だ」というのは養分がたっぷりだ、ということではなくって、微生物がたっぷりだということらしい。


しかし、微生物がたっぷりだということは、その微生物たちが養分をせっせと食っているということである。自然農のはたけのまっくろでふかふかの土というのは「肥えている」というけれども、実は猛烈な勢いで微生物たちが養分を減らしている勢いのある土だ、ということにはなるまいか。


ふかふかな土、というのは要するにすきまだらけだからそうなるわけで、すると「スカスカ」ともいえるわけです。


植物にとっては預金残高が勝手に減っていくような危機感を感じるのではないかと推察される。


なので、超えた土というのは、植物と微生物たちが土という部分を共有して、共生的競争をしているのではないかと、そういう適度なストレスの環境に育つと、たくましく生命力の強い作物になるのかなと、STAP細胞から「いい土は実はスカスカ」「微生物と植物は共存というよりもつなひきをしているのでは」説が生まれたところで本日の考察は終わり。


と、ここまで書いたところで子どもたちの顔が浮かんできた。我が家の微生物である。精神的な満足感や幸福感を見なければ、彼らは私たち夫婦がせっせと働いている稼ぎを猛烈な勢いで食い尽くしている存在である。


生産的活動と消費的活動を比較すると、とんどもなく消費側である。われらの稼ぎは容赦なく吸い取られ、彼らのバイト代は彼らのふところにとどまる。


ではそのことによって、筆者は疲弊し、生きる活力を失い、アイデアは枯渇し、実行力は足りずというようになるかと言えば逆である。彼らが吸い尽くす一方だという条件の中で、わが能力、企画力、実行力、継続力などはことごとく向上している。


「受け入れられる理不尽は能力を伸ばし、受け入れられない理不尽は能力を疲弊させる」説が誕生したところで本日の考察は終わり。たぶん。


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3月21日〜23日 兵庫県加古川市
「とろける整体と進化体操合宿」
http://d.hatena.ne.jp/meuto+lodge_together/