17歳 その2
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日常淡々日記度 ★
お気楽エッセイ度 ★★★★★
ひたむきに伝えたい度 ★★
筆者自身の心覚え度 ★
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17歳当時は、今は無きなんばの大阪球場にあった「極真会館空手 芦原道場 大阪支部」に通っていたのであります。しばらく前に脱税で逮捕されてしまった、K1の正道会館の石井館長が、まだ20代前半の年齢で、その道場の師範代をされていたのでした。
飛び込んでくるものと言えば、おっそろしい先輩方との組手(顔面以外はもろに当ててもいいというルールのどつきあい、蹴り合いのこと)で、みぞおちに正拳突きが飛び込んできたり、飛び込んでふくらはぎにローキックを決められ、脚を引きずりながら家路につくのがせいぜいだったのであります。(この飛び込みローキックの先輩は、その数カ月後の全日本大会で2位になりました。痛いはずです)
さらに12歳当時の私は考えました。「海辺に行かなあかんねんな。いったい俺の『17歳の海辺』はどこなんやろうなあ。あんまり遠くへは行かれへんなあ。」
それまで家族で行った海というのが、私の記憶にある浜辺です。丹後半島は伊根の海があります。船屋で有名です。家の下が船のガレージになっています。夜町を歩くと「たんごちりめん」の機織り機の音がしゃんしゃんと聞こえて来たのを覚えています。彼女と歩くには、ちょっと地方色豊かすぎる気がします。『17歳』というよりも「遠くへ行きたい」という感じです。
♪「知〜らない 町を 歩いて みたぁいぃ〜」という感じです。ゆえに却下。
鳥取県は小沢見という、「因幡のしろうさぎ」の海岸からひとつ隣のひなびた海の記憶もあります。ただし、そこは民宿のじいさんやらおばちゃんの顔がまだ記憶にあたらしい。それに急行でも大阪から4時間以上かかった。17歳であそこまでいくのは予算的にも時間的にも無理がある。ゆえに却下。
すると阪神電車でもいける西宮の甲子園浜が適当かもしれない。確かに厚生年金プールに連れて行ってもらった後、すぐそこにある甲子園浜にいったら、確かにアベックがいたぞ。いっしょにいった「いとこ」のまこと君が「だ、だ、抱き合ってるぞ」と興奮していたではないか。そうか、この当たりでは甲子園浜がきっと俺の「17歳の浜辺」に違いない。